ジェームズ・ウォージー
ジェームズ・エイガー・ウォージー (James Ager Worthy , 1961年2月27日 - ) は、アメリカ合衆国・ノースカロライナ州ガストニア出身の元プロバスケットボール選手。「Big Game James」の愛称で親しまれたウォージーは、1980年代におけるロサンゼルス・レイカーズの黄金期のメンバーであり、カリーム・アブドゥル=ジャバーやマジック・ジョンソンを中心として「ショータイム」と形容され、NBAファイナルの常連となっていたレイカーズでの、その速攻オフェンスの要の一人として、1985年、1987年、1988年の3回のチャンピオンシップ優勝を経験した。2003年にバスケットボール殿堂入りした。その後はロサンゼルスのKCBSテレビジョンで解説者なども務めた。
2007年のウォージー | |||||||||||||||
引退 | |||||||||||||||
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国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||
生年月日 | 1961年2月27日(63歳) | ||||||||||||||
出身地 | ノースカロライナ州ガストニア | ||||||||||||||
身長(現役時) | 206cm (6 ft 9 in) | ||||||||||||||
体重(現役時) | 102kg (225 lb) | ||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||
高校 | アッシュブルック高校 (ノースカロライナ州ガストニア) | ||||||||||||||
大学 | ノースカロライナ大学 | ||||||||||||||
NBAドラフト | 1982年 / 1巡目 / 全体1位[1] | ||||||||||||||
ロサンゼルス・レイカーズから指名 | |||||||||||||||
プロ選手期間 | 1982年–1994年 | ||||||||||||||
ポジション | SF | ||||||||||||||
背番号歴 | 42, 00 | ||||||||||||||
永久欠番 | レイカーズ 42 | ||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||
1982-1994 | ロサンゼルス・レイカーズ | ||||||||||||||
受賞歴 | |||||||||||||||
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NBA通算成績 | |||||||||||||||
得点 | 16,320 (17.6 ppg) | ||||||||||||||
リバウンド | 4,708 (5.1 rpg) | ||||||||||||||
アシスト | 2,791 (3.0 apg) | ||||||||||||||
Stats Basketball-Reference.com | |||||||||||||||
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) | |||||||||||||||
カレッジバスケットボール殿堂入り (2006年) | |||||||||||||||
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経歴
編集カレッジ時代
編集ウォージーはノースカロライナ州のアッシュブルック高校を1979年に卒業した。高校時代からその才能は際立っており、最終学年では平均21.0ポイント、2.6アシストをマークし、1979年のジュニアワールドカップメンバーにもなっている。大学は2年間ノースカロライナ大学に通った。1982年には彼の活躍でNCAAチャンピオンシップまで進み、彼はNCAAファイナル4のMVP、東地区のMVP、11メディアでのオールアメリカチームに選出されている。大学ではゲーム平均14.5ポイント、7.4リバウンド、2.5アシストをマークしている。在学時のエピソードとしては、17点差で勝っていた試合でジミー・ブラックとともに派手なプレーをして、そのことをコーチから厳しく叱責されたことがあり、そのことについてはデイヴィッド・ハルバースタムの著書『ジョーダン』に記されているほか、日本のノンフィクション作家海老沢泰久も著書やコラムで取り上げていた。
NBA時代
編集ウォージーのカレッジ時代の活躍はNBAからも大きな注目を集め、1982年のNBAドラフトの目玉となり全体一位指名でロサンゼルス・レイカーズに入団する。当時レイカーズにはカリーム・アブドゥル=ジャバーとマジック・ジョンソンがおり、既に西地区の強豪チームとなっていたが、ウォージーの加入はそれに「速攻」の要素を加えることになる。マジック・ジョンソンの芸術的なパスはウォージーによってさらに活かされ、「ショータイム」と称されるようになる。ウォージーの在籍中にレイカーズは実に7回のNBAファイナル進出(1983年・1984年・1985年・1987年・1988年・1989年・1991年)し、3回の優勝(1985年・1987年・1988年)を果す。特に1988年のファイナルでは22.0ポイント、7.4リバウンド、4.4アシストを記録し、第7戦には36ポイント、16リバウンド、10アシストのトリプルダブルを記録してファイナルのMVPに選ばれた。
彼は1994年に引退するまでレイカーズに在籍し続け、引退後はレイカーズのゲームの解説者となった。1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出され、2003年に殿堂入りした。
2015年9月28日、ロサンゼルス・レイカーズのコーチングスタッフの一員となった[1]。
NBA個人成績
編集略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | PPG | 平均得点 | 太字 | キャリアハイ |
レギュラーシーズン
編集シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
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1982–83 | LAL | 77 | 1 | 25.6 | .579 | .250 | .624 | 5.2 | 1.7 | 1.2 | .8 | 13.4 |
1983–84 | LAL | 82* | 53 | 29.5 | .556 | .000 | .759 | 6.3 | 2.5 | .9 | .9 | 14.5 |
1984–85† | LAL | 80 | 76 | 33.7 | .572 | .000 | .776 | 6.4 | 2.5 | 1.1 | .8 | 17.6 |
1985–86 | LAL | 75 | 73 | 32.7 | .579 | .000 | .771 | 5.2 | 2.7 | 1.1 | 1.0 | 20.0 |
1986–87† | LAL | 82* | 82 | 34.4 | .539 | .000 | .751 | 5.7 | 2.8 | 1.3 | 1.0 | 19.4 |
1987–88† | LAL | 75 | 72 | 35.4 | .531 | .125 | .796 | 5.0 | 3.9 | 1.0 | .7 | 19.7 |
1988–89 | LAL | 81 | 81 | 36.5 | .548 | .087 | .782 | 6.0 | 3.6 | 1.3 | .7 | 20.5 |
1989–90 | LAL | 80 | 80 | 37.0 | .548 | .306 | .782 | 6.0 | 3.6 | 1.2 | .6 | 21.1 |
1990–91 | LAL | 78 | 74 | 38.6 | .492 | .289 | .797 | 4.6 | 3.5 | 1.3 | .4 | 21.4 |
1991–92 | LAL | 54 | 54 | 39.0 | .447 | .209 | .814 | 5.6 | 4.7 | 1.4 | .4 | 19.9 |
1992–93 | LAL | 82 | 69 | 28.8 | .447 | .270 | .810 | 3.0 | 3.4 | 1.1 | .3 | 14.9 |
1993–94 | LAL | 80 | 2 | 20.0 | .406 | .288 | .741 | 2.3 | 1.9 | .6 | .2 | 10.2 |
キャリア | 926 | 717 | 32.4 | .521 | .241 | .769 | 5.1 | 3.0 | 1.1 | .7 | 17.6 |
プレーオフ
編集シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
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1984 | LAL | 21 | 0 | 33.7 | .599 | .500 | .609 | 5.0 | 2.7 | 1.3 | .5 | 17.7 |
1985† | LAL | 19 | 19 | 32.9 | .622 | .500 | .676 | 5.1 | 2.2 | .9 | .7 | 21.5 |
1986 | LAL | 14 | 14 | 38.5 | .558 | .000 | .681 | 4.6 | 3.2 | 1.1 | .7 | 19.6 |
1987† | LAL | 18 | 18 | 37.8 | .591 | .000 | .753 | 5.6 | 3.5 | 1.6 | 1.2 | 23.6 |
1988† | LAL | 24 | 24 | 37.3 | .523 | .111 | .758 | 5.8 | 4.4 | 1.4 | .8 | 21.1 |
1989 | LAL | 15 | 15 | 40.0 | .567 | .375 | .788 | 6.7 | 2.8 | 1.2 | 1.1 | 24.8 |
1990 | LAL | 9 | 9 | 40.7 | .497 | .250 | .837 | 5.6 | 3.0 | 1.6 | .3 | 24.2 |
1991 | LAL | 18 | 18 | 40.7 | .465 | .167 | .736 | 4.1 | 3.9 | 1.1 | .1 | 21.1 |
1993 | LAL | 5 | 0 | 29.6 | .372 | .250 | .600 | 3.4 | 2.6 | 1.0 | .0 | 13.8 |
キャリア | 143 | 117 | 37.0 | .544 | .209 | .727 | 5.2 | 3.2 | 1.2 | .7 | 21.1 |
成績および受賞歴
編集通算成績
編集得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである。[2]
レギュラーシーズン (12シーズン) | プレーオフ (9シーズン) | ||||
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926試合総計 | ゲーム平均 | 40分平均 | 143試合総計 | ゲーム平均 | |
ポイント数 | 16,320 | 17.6 | 21.8 | 3,022 | 21.1 |
リバウンド数 | 4,708 | 5.1 | 6.3 | 747 | 5.2 |
アシスト数 | 2,791 | 3.0 | 3.7 | 463 | 3.2 |
ブロック数 | 624 | 0.7 | 0.8 | 96 | 0.7 |
スティール数 | 1,041 | 1.1 | 1.4 | 177 | 1.2 |
主な受賞トピックス
編集- オールルーキー1stチーム:1983
- オールスターゲーム出場:7回 (1986-1992)
- オール3rdチーム選出:2回 (1990, 1991)
- NBAファイナルMVP:1回 (1988)
- NBAベスト50選手:1996年
エピソード
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ “Lakes Hire James Worthy to Work with Coaching Staff”. NBA.com (2015年9月28日). 2015年9月29日閲覧。
- ^ Basketball-reference.com James Worthy Statisticsより引用。March 18, 2007
外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 NBA、NBA日本、Basketball-Reference
- 公式ウェブサイト
- ジェームズ・ウォージー - バスケットボール殿堂