田谷充実
日本の政治家 (1902-1963)
田谷 充実(たや じゅうじつ、1902年7月27日 - 1963年2月27日)は、石川県能美郡山上村(旧山口村、旧辰口町を経て現在の能美市)火釜出身の政治家。石川県知事(2期 第46-47代)公選では2人目。
田谷充実 たや じゅうじつ | |
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1955年 | |
生年月日 | 1902年7月27日 |
出生地 | 石川県能美郡山上村 |
没年月日 | 1963年2月27日(60歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部 |
第45-46代 石川県知事 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1955年2月24日 - 1963年2月19日 |
経歴
編集1928年、京都帝国大学法学部卒[1]。全国指導農業協同組合副会長、農林中央金庫評議員、石川県農業協同組合中央会会長などを経て[1]、1955年2月20日第3回石川県知事選挙で現職の柴野和喜夫を破り、初当選する[1]。1959年2月8日の第4回石川県知事選挙で再選[1]。石川県知事を2期務め、1963年2月19日知事を退任した(後任は中西陽一)。知事退任直後の2月27日に死去した[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
関連項目
編集公職 | ||
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先代 柴野和喜夫 |
石川県知事 公選第3 - 4代:1955年 -1963年 |
次代 中西陽一 |