野上俊夫
日本のプロ野球選手 (1949-)
野上 俊夫(のがみ としお、1949年8月3日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、のち一塁手。
基本情報 | |
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出身地 | 日本 和歌山県和歌山市鷹匠町 |
生年月日 | 1949年8月3日(75歳) |
身長 体重 |
177 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手、一塁手 |
プロ入り | 1967年 ドラフト1位 |
初出場 | 1971年10月3日 |
最終出場 | 1975年5月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集市和歌山商では3年次の1967年、エース、四番打者として春夏連続で甲子園に出場。春の選抜は、2回戦の三重高戦でノーヒット・ノーランを達成。出した走者は4つの四球と1失策による5人のみであった。準々決勝で甲府商に敗退[1]。夏の選手権は1回戦で宮崎大宮高を完封するなどして勝ち進むが、準決勝で河井昭司を擁する広陵高に惜敗[2]。8月末からは全日本高校選抜の一員としてハワイ・アメリカ西海岸遠征に参加した。1年下のチームメートに控え内野手の阪田隆がいた。
1968年にドラフト1位で阪神タイガースへ入団。1年目のキャンプイン直前に膝に水が溜まって出遅れてしまい、一軍戦のデビューは入団4年目の1971年となる。1972年10月14日にはヤクルトを相手に初先発を果たすが、デーブ・ロバーツに本塁打を喫するなど打ち込まれ4回に降板。その後も結果を残せず二軍暮らしが続いた。1975年に村上雅則・相羽欣厚との交換トレードで和田徹と共に南海ホークスへ移籍。1976年には打者に転向してウエスタン・リーグで打率.312を記録したが、活躍することのないまま同年限りで引退。地元で会社勤務となった。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1971 | 阪神 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 12 | 3.1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.60 |
1972 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 18 | 4.1 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 4 | 9.00 | 1.38 | |
1975 | 南海 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 27 | 5.0 | 8 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 5 | 9.00 | 2.40 |
通算:3年 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 57 | 12.2 | 14 | 2 | 6 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 10 | 9 | 6.23 | 1.58 |
背番号
編集- 37(1968年 - 1970年)
- 55(1971年 - 1974年)
- 40(1975年 - 1976年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 野上俊夫 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)