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* [http://omacl.org/Troy/ ''Quintus Smyrnaeus The Fall of Troy'' translated by Arthur Sanders Way] (Loeb Classical Library) 1913).
* [http://omacl.org/Troy/ ''Quintus Smyrnaeus The Fall of Troy'' translated by Arthur Sanders Way] (Loeb Classical Library) 1913).
*[http://www.gltc.leidenuniv.nl/index.php3?c=154 Quintus Smyrnaeus: a modern bibliography]
*[http://www.gltc.leidenuniv.nl/index.php3?c=154 Quintus Smyrnaeus: a modern bibliography]
*[http://www.asiaing.com/the-fall-of-troy-by-quintus-smyrnaeus.html The Fall of Troy by Quintus Smyrnaeus]


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2009年6月1日 (月) 18:49時点における版

スミュルナのコイントス
Κόιντος Σμυρναίος
誕生 不明
死没 不明
職業 叙事詩人
活動期間 古代ギリシア
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スミュルナのコイントスギリシャ語Κόιντος Σμυρναίος, Kointos of Smyrna, ラテン語Quintus Smyrnaeus, クイントゥス)は、古代ギリシア叙事詩人。『トロイア戦記(Posthomerica、直訳すると「ホメーロス以後」)』は文字通り「ホメーロス以後」のトロイア戦争を物語っている。

生涯

コイントスがいつの時代の人だったかは諸説ある。4世紀後半とするのが慣習的であるが[1][2][3]、3世紀、2世紀とする学者もいる。

コイントス自身によると、若い時、スミュルナ(現イズミル)近郊で羊の番をしている時に詩を書き出したとあるが、これはヘーシオドスに合わせたトポスかも知れない。この経歴はアポローンパリスとも一致する。

名前

1504年アルドゥス・マヌティウスヴェネツィアで『Quinti Calabri derelictorum ab Homero libri XIV. Venetiis: in aedibus Aldi』という題名で「規範版(Editio princeps)」を出版した。アルドゥスが作者を「Quintus Calaber(カラブリアのクイントゥス)」としたのは、唯一知られていたコイントスの写本が1450年ヨハンネス・ベッサリオン枢機卿によってカラブリアオトラントで発見されたからである。1577年、ミヒャエル・ネアンダー(Michael Neander)のラテン語訳が出された時、編者のLorenz Rhodomannが「Quintus Smyrnaeus」という名前をつけた[4]

作品

『トロイア戦記』として知られるコイントスの叙事詩は14巻から成っていて、ホメーロスの『イーリアス』の最後からトロイア戦争の終局までを描いている。その時代を描いた作品としては、現存するものの中で最古のものである。コイントスが引用した古い「叙事詩の環」に含まれる作品は現存していない。

『トロイア戦記』の素材は、ウェルギリウスと同じで、ミレトスのアルクティノス(紀元前8世紀)の『アイティオピス』と『イーリオスの陥落』、レスケースの『小イーリアス』から引いてきたものである。『トロイア戦記』はホメーロスを手本に書かれているが、詩才の劣る下手な模倣者と見なされている。

最初の4巻は『アイティオピス』と同じで、アマゾーンペンテシレイア、暁の女神エーオースの子メムノーンの死、さらに二人を殺したアキレウスの死、アキレウスを讃える葬儀での競技が描かれる。

第5巻から第12巻までは『小イーリアス』と同じで、アキレウスの武具を巡っての大アイアースオデュッセウスの争い、敗北後の大アイアースの自殺、ネオプトレモスエウリュピュロスデーイポボスの手柄、パリスとオイノーネーの死、トロイアの木馬の建造が描かれる。

残りの巻は『イリオスの攻略』と同じで、トロイアの木馬によるトロイアの攻略、アキレウスの墓へのポリュクセネーの生贄、ギリシア軍の出発と嵐による離散が描かれる。

脚注

  1. ^ Thomas Christian Tychsen, Quinti Smyrnaei Posthomericorum libri XIV. Nunc primum ad librorum manoscriptorum fidem et virorum doctorum coniecturas recensuit, restituit et supplevit Thom. Christ. Tychsen acceserunt observationes Chr. Gottl. Heynii (Strassburg: Typhographia Societatis Bipontinae) 1807.
  2. ^ Armin H. Köchly, Quinti Smyrnaei Posthomericorum libri XIV. Recensuit, prolegomenis et adnotatione critica instruxit Arminius Koechly (Leipzig: Weidmannos) 1850.
  3. ^ A.S. Way, Introduction 1913.
  4. ^ Cointi Smyrnaei, popularis Homeri, poëtae vetustissimi et suavissimi, Ilii excidii libri duo, Reditus Graecorum capta liber unus. Expositi olim in schola Ilfeldensi et editi nunc studio, industria et labore Laurentii Rhodomanni. (Leipzig: Steinmann) 1577.

参考文献

  • パブリックドメイン この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)

日本語文献

  

外部リンク