第18回衆議院議員総選挙
第18回衆議院議員総選挙 | |||
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内閣 | 犬養内閣 | ||
解散日 | 1932年(昭和7年)1月21日 | ||
公示日 | 1932年(昭和7年)1月22日 | ||
投票日 | 1932年(昭和7年)2月20日 | ||
選挙制度 | 中選挙区制 | ||
改選数 | 466() | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 満25歳以上の男性日本国民 | ||
有権者数 | 1323万7841人 | ||
投票率 | 81.68%(1.66%) | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 立憲政友会 | 立憲民政党 | 社会民衆党 |
党首 | 犬養毅 | 若槻禮次郎 | 安部磯雄 |
前回選挙 | 174 | 203 | 2 |
選挙前議席 | 171 | 246 | 2 |
獲得議席 | 301 | 146 | 3 |
増減 | 130 | 100 | 1 |
党順 | 第4党 | 第5党 | |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 全国労農大衆党 | 革新党 | |
党首 | 麻生久 | 不明 | |
前回選挙 | 新党 | 3 | |
選挙前議席 | 3 | 3 | |
獲得議席 | 2 | 2 | |
増減 | 1 | 1 | |
選挙状況 | |||
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< 1930年1936年 > | |||
第18回衆議院議員総選挙(だい18かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1932年(昭和7年)2月20日(土曜日)に日本で行われた帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。
概説
[編集]1931年(昭和6年)12月13日に成立した犬養毅内閣は、政権発足当初、与党立憲政友会が174議席で少数与党を余儀なくされた。満州事変の処理に一段落した後、事変処理の国民的輿望の増大と、政権基盤の強化を目論み第60議会の冒頭にて衆議院の解散・総選挙に持ち込んだ。
選挙戦は、政友会が与党の立場であったことに加え、選挙前に立憲民政党が安達謙蔵一派の離党によって分裂していたこと(安達一派は選挙後の12月に国民同盟を結成)、犬養内閣が1931年12月に金の輸出禁止を実施し、これを機会に好景気に転換し始めたこと、満州事変と上海事変の戦勝などにより、政友会に有利に展開した。
また、選挙戦術として、レコードやトーキー映画などのメディアを使った選挙戦術が新たな試みとして行われた。
しかし、その一方で選挙戦の最中、2月9日に前蔵相であった民政党の井上準之助が暗殺され、さらに総選挙後の3月5日三井財閥の総帥であった團琢磨が暗殺された(「血盟団事件」)ことは政党政治の未来に暗雲を投げかけた。
また、政友会は301議席を獲得して予想を上回る圧勝を収めるのだが、選挙後、中橋徳五郎内相の病気辞任を契機として党内抗争が起こり、これを収拾するのに犬養が手間取ったことから犬養の政権掌握力が低下していくことになる。
一方で、民政党は146議席と100議席以上減少させる惨敗を喫し、党勢の低下に歯止めをかけられなかった。
選挙データ
[編集]内閣
[編集]解散日
[編集]公示日
[編集]投票日
[編集]改選数
[編集]- 466
選挙制度
[編集]- 中選挙区制
- 普通投票(男性のみ)
- 満25歳以上の男性
- 有権者 13,237,841
党派別獲得議席
[編集]- 委員長=麻生久
議員
[編集]当選者
[編集]立憲政友会 立憲民政党 社会民衆党 全国労農大衆党 革新党 中立
*の選挙区は無投票
補欠当選等
[編集]立憲政友会 立憲民政党 無所属
年 | 月日 | 選挙区 | 選出 | 新旧別 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
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1932 | - | 長崎1区 | (未実施) | 志波安一郎 | 立憲政友会 | 1932.6.10死去 | |||
秋田2区 | (未実施) | 片野重脩 | 立憲政友会 | 1932.7.20選挙法違反 | |||||
鹿児島2区 | (未実施) | 崎山武夫 | 立憲政友会 | 1932.8.8選挙法違反 | |||||
長野1区 | (未実施) | 小坂順造 | 立憲民政党 | 1932.9.29任貴族院議員 | |||||
栃木1区 | (未実施) | 森恪 | 立憲政友会 | 1932.12.11死去 | |||||
1933 | 12.23 | 東京4区 | 更正決定 | 元 | 真鍋儀十 | 立憲民政党 | 中野勇治郎 | 立憲政友会 | 1933.12.19当選無効 |
- | 愛知1区 | (未実施) | 横山一格 | 立憲民政党 | 1933.1.23死去 | ||||
埼玉2区 | (未実施) | 秦豊助 | 立憲政友会 | 1933.2.4死去 | |||||
大分1区 | (未実施) | 野依秀市 | 立憲政友会 | 1933.3.28選挙法違反 | |||||
千葉1区 | (未実施) | 鈴木隆 | 立憲政友会 | 1933.4.20選挙法違反 | |||||
大阪3区 | (未実施) | 広瀬徳蔵 | 立憲民政党 | 1933.5.8死去 | |||||
東京3区 | (未実施) | 柳田宗一郎 | 立憲民政党 | 1933.6.18死去 | |||||
鹿児島1区 | (未実施) | 原耕 | 立憲政友会 | 1933.8.3死去 | |||||
岩手1区 | (未実施) | 熊谷巌 | 立憲政友会 | 1933.11.2死去 | |||||
東京4区 | (未実施) | 中野勇治郎 | 立憲政友会 | 1933.12.19当選無効 | |||||
愛知2区 | (未実施) | 西脇晋 | 立憲民政党 | 1932.12.19死去 | |||||
1934 | 1.16 | 福岡4区 | 補欠選挙 | 元 | 末松偕一郎 | 立憲民政党 | 坂井大輔 | 立憲政友会 | 1932.5.9死去 |
新 | 林田操 | 立憲政友会 | 内野辰次郎 | 立憲政友会 | 1933.12.5死去 | ||||
6.4 | 岡山2区 | 元 | 西村丹治郎 | 立憲民政党 | 犬養毅 | 立憲政友会 | 1932.5.15死去(五・一五事件) | ||
新 | 則井万寿雄 | 立憲政友会 | 白神邦二 | 立憲政友会 | 1934.4.15死去 | ||||
- | 秋田1区 | (未実施) | 田中隆三 | 立憲民政党 | 1934.1.23死去 | ||||
愛媛3区 | (未実施) | 清家吉次郎 | 立憲政友会 | 1934.2.23死去 | |||||
大阪5区 | (未実施) | 喜多孝治 | 立憲政友会 | 1934.3.11死去 | |||||
東京1区 | (未実施) | 三木武吉 | 立憲民政党 | 1934.3.26退職 | |||||
東京6区 | (未実施) | 中島守利 | 立憲政友会 | 1934.3.26退職 | |||||
福島2区 | (未実施) | 鈴木寅彦 | 立憲民政党 | 1934.4.17辞職 | |||||
宮崎全県区 | (未実施) | 佐藤重遠 | 立憲政友会 | 1934.4.17辞職 | |||||
長野3区 | (未実施) | 平野桑四郎 | 立憲政友会 | 1934.7.18死去 | |||||
兵庫4区 | (未実施) | 土井権大 | 無所属 | 1934.8.7退職 | |||||
茨城3区 | (未実施) | 堀江正三郎 | 立憲政友会 | 1934.10.9死去 | |||||
青森1区 | (未実施) | 藤井達也 | 立憲政友会 | 1934.12.16死去 | |||||
東京5区 | (未実施) | 高木正年 | 立憲民政党 | 1934.12.31死去 | |||||
1935 | 3.8 | 山口2区 | 補欠選挙 | 新 | 小河虎彦 | 立憲民政党 | 松岡洋右 | 立憲政友会 | 1933.12.27辞職 |
元 | 国光五郎 | 立憲政友会 | 沢本与一 | 立憲民政党 | 1935.1.16死去 | ||||
6.18 | 北海道3区 | 新 | 恩賀徳之助 | 立憲民政党 | 林儀作 | 立憲政友会 | 1935.1.20死去 | ||
新 | 登坂良作 | 立憲政友会 | 佐々木平次郎 | 立憲政友会 | 1935.4.21死去 | ||||
- | 神奈川3区 | (未実施) | 胎中楠右衛門 | 立憲政友会 | 1935.1.26辞職 | ||||
岩手2区 | (未実施) | 小野寺章 | 立憲政友会 | 1935.2.3死去 | |||||
大阪6区 | (未実施) | 山口義一 | 立憲政友会 | 1935.4.15退職 | |||||
神奈川1区 | (未実施) | 三宅磐 | 立憲民政党 | 1935.5.23死去 | |||||
埼玉2区 | (未実施) | 一瀬一二 | 立憲政友会 | 1935.8.5死去 | |||||
佐賀1区 | (未実施) | 石川又八 | 立憲政友会 | 1935.9.6死去 | |||||
宮崎全県区 | (未実施) | 平島敏夫 | 立憲政友会 | 1935.9.7辞職 | |||||
鹿児島1区 | (未実施) | 床次竹二郎 | 無所属 | 1935.9.8死去 | |||||
東京4区 | (未実施) | 磯部尚 | 立憲政友会 | 1935.12.1死去 | |||||
福井全県区 | (未実施) | 山本条太郎 | 立憲政友会 | 1935.12.3任貴族院議員 | |||||
愛知1区 | (未実施) | 田中善立 | 立憲政友会 | 1935.12.20退職 | |||||
京都1区 | (未実施) | 鈴木吉之助 | 立憲政友会 | 1935.12.21退職 | |||||
出典:衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。 |
初当選
[編集]- 計123名
- 立憲政友会
-
- 87名
- 立憲民政党
-
- 29名
- 社会民衆党
-
- 1名
- 小池四郎(福岡4区)
- 全国労農大衆党
-
- 1名
- 杉山元治郎(大阪5区)
- 中立
-
- 5名
返り咲き・復帰
[編集]- 計68名
- 立憲政友会
-
- 58名
- 立憲民政党
-
- 7名
- 社会民衆党
-
- 2名
- 中立
-
- 1名
- 中野寅吉(福島2区)
引退・不出馬
[編集]- 計76名
- 立憲政友会
-
- 15名
- 立憲民政党
-
- 52名
- 国民同志会
-
- 4名
- 中立
-
- 5名
落選
[編集]- 計99名
- 立憲政友会
-
- 2名
- 立憲民政党
-
- 89名
- 社会民衆党
-
- 2名
- 全国労農大衆党
-
- 1名
- 浅原健三(福岡2区)
- 革新党
-
- 1名
- 田川大吉郎(東京3区)
- 中立
-
- 4名
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。