アラン・パリス
アラン・ジェイ・パリス | |
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生誕 |
1922年4月1日 ペンシルベニア州ピッツバーグ |
死没 |
1990年2月7日(67歳没) コネチカット州ニューヘイブン |
国籍 | アメリカ合衆国 |
研究分野 | 計算機科学 |
研究機関 |
Association for Computing Machinery カーネギーメロン大学 イェール大学 |
出身校 | カーネギーメロン大学, MIT |
博士課程 指導教員 | Philip Franklin |
博士課程 指導学生 | デイビッド・パーナス |
主な業績 | IT, ALGOL |
主な受賞歴 | チューリング賞 |
プロジェクト:人物伝 |
アラン・ジェイ・パリス(Alan Jay Perlis、1922年4月1日 - 1990年2月7日)は、アメリカ合衆国の計算機科学者。プログラミング言語についての先駆的業績で知られる。1966年、第1回のチューリング賞を受賞した。
生涯
[編集]ペンシルベニア州ピッツバーグにてユダヤ人家庭に生まれる。1943年、カーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学)で化学の学士号を取得。第二次世界大戦時にアメリカ陸軍で働き、数学に興味を持つようになる。戦後はMITで数学を学び、修士号 (1947) と Ph.D. (1950) を取得した。学位論文は、"On Integral Equations, Their Solution by Iteration and Analytic Continuation"(積分方程式における繰り返しと解析接続による解法)。
1952年、Whirlwind プロジェクトに参加。パデュー大学で教員となり、1956年にはカーネギー工科大学に移った。数学科の学科長を務め、後に計算機科学科創設時の学科長も務めた。1962年、Association for Computing Machinery の会長に選ばれた。
1966年、「プログラミング技法とコンパイラ構築の分野への貢献に対して」チューリング賞を受賞。これは、彼がALGOL言語の開発チームで行った仕事を指している。
1971年、イェール大学の計算機科学科の学科長に就任。1977年には全米技術アカデミー会員に選ばれた。
1982年、パリスは ACM の SIGPLANジャーナルに Epigrams on Programming(プログラミングに関する警句集)を発表した。これは彼が経験から学んだことを抽出して一文の警句にしたものである。この警句集の言葉は広く引用されている[1]。
1990年、イェール大学在職中になくなった。
出典
[編集]参考文献
[編集]- Peter J. Denning. "Alan J. Perlis—1922–1990: a founding father of computer science as a separate discipline". Communications of the ACM, Volume 33 Issue 5, May 1990.
- Cheatham, Thomas (1978). “ALGOL session”. History of Programming Languages. New York, NY: ACM Press. pp. 171. doi:10.1145/800025.1198357 2007年9月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- Alan J. Perlis Papers, 1942-1989. Charles Babbage Institute, University of Minnesota, Minneapolis.
- Oral history interview with Allen Newell at Charles Babbage Institute, University of Minnesota, Minneapolis.