ティム・フォーサイス
獲得メダル | ||
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オーストラリア | ||
陸上競技 | ||
オリンピック | ||
銅 | 1992 バルセロナ | 男子 走高跳 |
世界陸上選手権 | ||
銅 | 1997 アテネ | 男子 走高跳 |
ティム・フォーサイス(Tim Forsyth、1973年8月17日 - )は、オーストラリアの陸上競技選手。1992年バルセロナオリンピックの銅メダリストである。ビクトリア州ミルボーノース出身。
経歴
[編集]フォーサイスは、身長1m99の走高跳の選手で、1988年に自身初めて2mの大台を突破。1990年には世界ジュニア選手権に出場。2m37の世界ジュニア記録を出したユーゴスラビアのドラガン・トピッチに次いで銀メダルを獲得した。
初めてのオリンピックとなった1992年バルセロナオリンピックでは、フォーサイスを含め、5人の選手が2m34を跳び、横一線に並んだ。5人とも2m37を失敗し、試技数の関係でキューバのハビエル・ソトマヨルが金メダル。スウェーデンのパトリック・ショーベリが銀メダル。そして、フォーサイスは、ポーランドのアルツール・パルティカ、アメリカのホリス・コンウェイとともに銅メダルを獲得した。同年秋には、世界ジュニア選手権に出場。優勝したイギリスのスティーブ・スミスが2m37の世界ジュニアタイ記録を出し優勝。フォーサイスは前回大会に続き銀メダルとなった。
フォーサイスは、1994年、カナダのビクトリアで開催されたコモンウェルスゲームズに出場。イギリスのスミスと息の詰まる熱戦を繰り広げた。両者とも2m34を3回失敗した後、ジャンプオフ4回という激戦の末、スミスは2m32をクリアすることができず、フォーサイスは大きな国際大会で初めての優勝を果たした。
1996年アトランタオリンピックでは、2m32しか跳べず7位と惨敗。翌1997年のアテネで開催された世界選手権では、パルティカと同じ2m35で、優勝したソトマヨルに次ぐ跳躍を見せるが、試技数の関係で3位となる。1998年のコモンウェルスゲームズでは、2m28で銅メダルを獲得。この大会が大きな国際舞台での最後のメダルとなった。
フォーサイスはトータルで9回のオーストラリア記録を樹立。1997年に出した自己ベスト2m36は現在でもオーストラリア記録である。
自己ベスト
[編集]- 走高跳 - 2m36 (1997年)
主な実績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1990 | 世界ジュニア陸上選手権 | プロヴディフ(ブルガリア) | 走高跳 | 2位 | 2m29 |
1991 | 世界陸上選手権 | 東京(日本) | 走高跳 | 15位(h) | 2m24 |
1992 | オリンピック | バルセロナ(スペイン) | 走高跳 | 3位 | 2m34 |
1992 | 世界ジュニア陸上選手権 | ソウル(韓国) | 走高跳 | 2位 | 2m31 |
1993 | 世界陸上選手権 | シュトゥットガルト(ドイツ) | 走高跳 | 9位 | 2m28 |
1994 | コモンウェルスゲームズ | ビクトリア(カナダ) | 走高跳 | 1位 | 2m32 |
1994 | IAAFワールドカップ | ロンドン(イギリス) | 走高跳 | 2位 | 2m28 |
1995 | 世界陸上選手権 | ヨーテボリ(スウェーデン) | 走高跳 | 8位 | 2m25 |
1996 | オリンピック | アトランタ(アメリカ合衆国) | 走高跳 | 7位 | 2m32 |
1997 | 世界陸上選手権 | アテネ(ギリシャ) | 走高跳 | 3位 | 2m35 |
1998 | コモンウェルスゲームズ | クアラルンプール(マレーシア) | 走高跳 | 3位 | 2m28 |
1999 | 世界陸上選手権 | セビリヤ(スペイン) | 走高跳 | 14位(h) | 2m26 |
2000 | オリンピック | シドニー(オーストラリア) | 走高跳 | 14位(h) | 2m24 |
- hは予選
外部リンク
[編集]- ティム・フォーサイス - Olympedia