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ボリスラフ・ミハイロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボリスラフ・ミハイロフ
名前
本名 ボリスラフ・ビセロフ・ミハイロフ
Borislav Biserov Mihaylov
ラテン文字 Borislav Mikhailov
ブルガリア語 Борислав Михайлов
基本情報
国籍  ブルガリア
生年月日 (1963-02-12) 1963年2月12日(61歳)
出身地 ソフィア
身長 186cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1989 ブルガリアの旗 レフスキ・ソフィア 180 (0)
1989-1991 ポルトガルの旗 ベレネンセス 29 (0)
1992-1994 フランスの旗 ミュルーズ 65 (0)
1994-1995 ブルガリアの旗 ボテフ・プロヴディフ 20 (0)
1995-1997 イングランドの旗 レディング 24 (0)
1997-1998 ブルガリアの旗 スラヴィア・ソフィア 14 (0)
1998-1999 スイスの旗 チューリッヒ 1 (0)
代表歴
1983-1998 ブルガリアの旗 ブルガリア 102 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ボリスラフ・ミハイロフБорислав Михайлов1963年2月12日 - )は、ブルガリアソフィア出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはGK

経歴

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選手時代

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ブルガリアの首都ソフィアで生まれ、1981年にソフィアを本拠地とするレフスキ・ソフィアへ入団。ブルガリアリーグ、ブルガリアカップをそれぞれ3度制したほか、1986年にはミハイロフはブルガリア人年間最優秀選手にも選ばれた。その後も国内外のいくつかのクラブに所属し、1995年にはシャカ・ヒスロップの後釜としてクラブ史上最高額となる8万ポンドの移籍金でレディングFCに加入した。

ブルガリア代表としては1983年5月4日に行われたキューバ代表戦でデビュー[1]。1990年からの6年間、1994 FIFAワールドカップUEFA EURO '96などの大会で代表キャプテンを務め、1998年9月5日のアルジェリア代表戦が最後の試合出場となった[1]。代表102キャップは同国の最多出場記録であったが[2]、2011年にスティリアン・ペトロフによって更新された[3]

引退後

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2005年からはブルガリアサッカー連合の会長を務め[2]、2011年からはUEFA実行委員会のメンバーとなった[4]

2019年10月14日、ホームゲームとして行われたUEFA EURO 2020予選イングランド代表戦において、サポーターによる人種差別事件が発生し、2度に渡り試合が中断された[4]。この事件を受けて首相のボイコ・ボリソフはサポーターの行動を非難するとともに、ミハイロフの即時辞任を勧告すると、翌15日に会長職を辞任した[4]

人物

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妻は新体操の選手であったマリア・ペトロバ。息子のニコライ・ミハイロフもサッカー選手であり、イングランドのリヴァプールFCや、オランダのFCトゥウェンテなどに所属している[2]

選手時代は頭頂部の禿げ上がった頭が特徴だったが、フランス2部リーグFCミュルーズに所属していた当時、1万ポンド以上を費やして頭髪の植毛を行っている[5]

脚注

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  1. ^ a b Borislav Mikhailov - International Appearances”. rsssf.com. 2017年4月28日閲覧。
  2. ^ a b c Bulgarians remain in shadow of class of '94”. BBC News (2010年9月2日). 2017年4月27日閲覧。
  3. ^ Bulgaria - Record International Players”. rsssf.com. 2017年4月27日閲覧。
  4. ^ a b c Bulgaria v England racism: Bulgarian Football Union president Borislav Mihaylov resigns”. BBC Sport (2019年10月15日). 2019年10月17日閲覧。
  5. ^ Almanack: Baldies but goldies”. The Independent (1994年7月16日). 2017年4月27日閲覧。