外山光輔
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 天保14年10月27日(1843年12月18日) |
死没 | 明治4年12月3日(1872年1月12日)[1] |
主君 | 孝明天皇→明治天皇 |
氏族 | 外山家 |
父母 | 父:外山光親 |
兄弟 | 光熈、光輔 |
子 | 光曁 |
外山 光輔(とやま みつすけ[1]/みつつね[2])は、幕末の公家。外山家8代当主。
経歴
[編集]山城国京都で勘解由次官・外山光親の二男として誕生[1][3]。嘉永5年3月12日(1852年4月30日)に元服し昇殿を許され、宮内大輔に任じられた[1][4]。
明治3年4月(1870年5月)東京で皇居内番参勤となるが、同年7月に辞任し京都に戻った[3]。その後、国事への参画を願うも実現せず、また、王政復古後の物価の騰貴、政府高官の洋風化などに反発し、愛宕通旭と提携して政権の刷新を画策し同志を募った[1][3]。明治4年3月6日(1871年4月25日)京都で挙兵の密議を行ったことが発覚し、翌7日に同志21名と共に捕縛された[3](二卿事件)。同年12月3日に自尽を命ぜられた[1][3]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編『明治時代史大辞典 第二巻』吉川弘文館、2012年。
- 『外山家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。