コンテンツにスキップ

鳥取県立米子西高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鳥取県立米子西高等学校
地図北緯35度25分2.5秒 東経133度19分39.2秒 / 北緯35.417361度 東経133.327556度 / 35.417361; 133.327556座標: 北緯35度25分2.5秒 東経133度19分39.2秒 / 北緯35.417361度 東経133.327556度 / 35.417361; 133.327556
過去の名称 私立米子女学校
郡立西伯高等女学校
鳥取県立米子高等女学校
鳥取県立米子第二高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 鳥取県の旗鳥取県
校訓 英知・情熱・礼節・協力
設立年月日 1906年4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D131210000134 ウィキデータを編集
高校コード 31119H
所在地 683-8512
鳥取県米子市大谷町200番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

鳥取県立米子西高等学校(とっとりけんりつ よなごにしこうとうがっこう, Tottori Prefectural Yonago Nishi High School)は、鳥取県米子市大谷町にある公立高等学校

概要

[編集]
歴史
1906年明治39年)に開校した「私立米子女学校」を前身とする。高等女学校を経て、1948年昭和23年)の学制改革で新制の女子高等学校となる。翌1949年(昭和24年)に統合により、現校名の「鳥取県立米子西高等学校」となり男女共学を開始した。2011年平成23年)に創立105周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
校訓
「英知・情熱・礼節・協力」
教育方針
すぐれた知性・豊かな情操・強い意志を持ち、民主的で自律的な人間を育み、地域や社会の期待にこたえる創造性豊かな人材を育成する。
校章
十文字に組み合わせたの葉の中央に咲き薫る花を配し、上に向かった一枚の葉は英知、右に向かった一枚は若き情熱、左にあるのは礼節、さらに下の葉は協力をそれぞれ示し、それらの総合された美しさを中央の花に託している。
校歌
旧仮名遣いの歌詞であるが、1987年(昭和62年)、新校舎移転と創立80周年を記念して制定されたもので、比較的新しい。3代目のもの。
同窓会
「翠会」(みどりかい)と称している。

歴史

[編集]
女学校・高等女学校時代
  • 1906年(明治39年)4月1日 - 地元有力者の坂口平兵衛によって寄付された加茂町の土地に「私立米子女学校」が開校。
    • 本科(修業年限4年)と選科(修業年限3年)を設置。
  • 1907年(明治40年)5月1日 - 西伯郡に移管され「西伯郡立西伯高等女学校」に改称。
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 県立移管により、「鳥取県立米子高等女学校」に改称。
  • 1910年(明治43年)5月3日 - 錦町に新校舎が完成し、移転を完了。
  • 1931年(昭和6年)11月22日 - 創立20周年を記念して校歌(初代)を制定。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
    • 高等女学校の生徒募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(名称:鳥取県立米子高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2修了者を新制中学2・3年生として収容。
    • 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校に在籍し4・5年生となる(4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により高等女学校が廃止され、新制高等学校「鳥取県立米子第二高等学校[1]」(女子校)が発足。
    • 高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
    • 併設中学校は新制高校に継承され(名称:鳥取県立米子第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
    • 4月1日 - 高校三原則に基づく鳥取県内公立高等学校の再編が行われる。
      • 鳥取県立米子工業高等学校を統合し、普通科・家庭別科・工業科を有する総合制高等学校「鳥取県立米子西高等学校」(現校名)が発足。男女共学を開始。
  • 1953年(昭和28年)
  • 1954年(昭和29年)2月10日 - 校歌(二代目)を制定。
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月25日 - 錦町校舎の閉校式を挙行。
    • 4月6日 - 現在地に校舎が完成し、移転を完了。
    • 6月12日 - 校歌(現校歌・三代目)を制定。
  • 1988年(昭和63年)1月29日 - 生徒合宿所(同窓会館)が完成。
  • 1994年(平成6年)4月1日 - 家政科を生活文化科に改編。
  • 2001年(平成13年)4月1日 - 生活文化科の募集を停止し、鳥取県立米子南高等学校に移管。普通科に4コース(人文科学・数理科学・健康科学・普通)を設置。
  • 2003年(平成15年)3月31日 - 生活文化科を廃止。
  • 2005年(平成17年)11月19日 - 創立100周年記念式典を挙行。記念モニュメントが完成。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 在学生を含めコース制を廃止。
  • 2008年(平成20年)3月19日 - TEAS(鳥取県版環境管理システム)Ⅱ種に認可・登録される。

部活動

[編集]

運動部

[編集]

文化部

[編集]

著名な出身者

[編集]

スポーツ

[編集]

文化

[編集]

芸能

[編集]

放送関係

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ これに対し、鳥取県立米子第一高等学校は「鳥取県立米子中学校」(旧制中学校)を前身とする男子校であった。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]