鳩彦王妃允子内親王
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鳩彦王妃 允子内親王 | |
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朝香宮妃 | |
続柄 | 明治天皇第8皇女子 |
全名 | 允子(のぶこ) |
称号 | 富美宮(ふみのみや) |
身位 | 内親王→王妃内親王 |
敬称 | 殿下 |
お印 | 徳 |
出生 |
1891年8月7日 大日本帝国、東京府 |
死去 |
1933年11月3日(42歳没) 大日本帝国、東京府東京市芝区白金台町、朝香宮邸 |
埋葬 |
1933年11月12日 豊島岡墓地 |
配偶者 | 朝香宮鳩彦王(1910年 - 1933年) |
子女 |
鍋島紀久子(紀久子女王) 朝香孚彦(孚彦王) 音羽正彦(正彦王) 大給湛子(湛子女王) |
父親 | 明治天皇 |
母親 | 園祥子 |
栄典 |
勲一等宝冠章 |
鳩彦王妃 允子内親王(やすひこおうひ のぶこないしんのう、1891年〈明治24年〉8月7日 - 1933年〈昭和8年〉11月3日)は、日本の皇族。朝香宮鳩彦王の妃。明治天皇の第8皇女子。母は園基祥伯爵令嬢権・園祥子。旧名は、允子内親王(のぶこないしんのう)、諱は允子(のぶこ)、御称号は富美宮(ふみのみや)、お印は徳であった。大正天皇は異母兄、昭和天皇は甥、明仁上皇は大甥、今上天皇は曽姪孫にあたる。
人物
[編集]1891年(明治24年)8月7日、父帝の明治天皇第8皇女として誕生。母は園祥子。1910年(明治43年)4月29日、朝香宮鳩彦王との結婚の勅許が下りる[1]。5月5日に勲一等宝冠章受章[2]。翌5月6日、朝香宮鳩彦王と結婚する[3]。鳩彦王との間に2男2女を儲ける。1923年(大正12年)、夫が留学先のパリでの自動車事故で重傷を負った。この時に運転をしていたのは義兄・北白川宮成久王で、成久王は即死、同乗していた実姉・房子内親王も重傷を負った。東京にいた允子内親王も急遽パリに向かうこととなる。その後、夫の静養に同行するとの名目で2年間パリに滞在。そのころ流行していたアール・デコへの造詣を深め、日本帰国後にアール・デコ仕様の新宮邸[注釈 1]を建設するのに尽力した。1933年(昭和8年)10月中旬頃から倦怠感や食欲不振が続き、10月21日に心臓肥大・肝臓腫瘍・気管支炎・腎臓炎性網膜炎等の症状から慢性腎臓炎と診断を受ける[4]。症状は一時快方に向かったが、同月30日から再び悪化し、心臓衰弱・気管支炎の併発によって、11月3日午前1時15分、朝香宮邸にて薨去した[4]。11月12日に斂葬の儀が豊島岡墓地で執り行われた[5]。宮中は允子内親王の喪に服し、翌年の歌会始も中止された。
子女
[編集]- 紀久子女王 - 鍋島直泰侯爵夫人
- 孚彦王 - 1947年(昭和22年)に臣籍降下
- 正彦王 - 1936年(昭和11年)に臣籍降下し、音羽侯爵。1944年(昭和19年)に戦死
- 湛子女王 - 大給義龍伯爵夫人
系図
[編集]昭憲皇太后 (一条美子) (1849-1914) | |||||||||||||||
子女無し | |||||||||||||||
葉室光子 (1853-1873) | |||||||||||||||
稚瑞照彦尊 (1873・第一皇男子/第一子・死産 ) | |||||||||||||||
橋本夏子 (1856-1873) | |||||||||||||||
稚高依姫尊 (1873・第一皇女子/第二子・死産 ) | |||||||||||||||
明治天皇(第122代天皇) | |||||||||||||||
梅宮薫子内親王 (1875-1876・第二皇女子/第三子・夭折 ) | |||||||||||||||
建宮敬仁親王 (1877-1878・第二皇男子/第四子・夭折 ) | |||||||||||||||
明宮嘉仁親王 (1879-1926・第三皇男子/第五子・大正天皇:第123代天皇) | |||||||||||||||
柳原愛子 (1855-1943) | |||||||||||||||
滋宮韶子内親王 (1881-1883・第三皇女子/第六子・夭折 ) | |||||||||||||||
増宮章子内親王 (1883・第四皇女子/第七子・夭折 ) | |||||||||||||||
千種任子 (1856-1944) | |||||||||||||||
久宮静子内親王 (1886-1887・第五皇女子/第八子・夭折 ) | |||||||||||||||
昭宮猷仁親王 (1887-1888・第四皇男子/第九子・夭折 ) | |||||||||||||||
常宮昌子内親王 (1888-1940・第六皇女子/第十子) | |||||||||||||||
竹田宮恒久王 | |||||||||||||||
周宮房子内親王 (1890-1974・第七皇女子/第十一子) | |||||||||||||||
北白川宮成久王 | |||||||||||||||
富美宮允子内親王 (1891-1933・第八皇女子/第十二子) | |||||||||||||||
朝香宮鳩彦王 | |||||||||||||||
満宮輝仁親王 (1893-1894・第五皇男子/第十三子・夭折 ) | |||||||||||||||
泰宮聡子内親王 (1896-1978・第九皇女子/第十四子) | |||||||||||||||
東久邇宮稔彦王 | |||||||||||||||
貞宮多喜子内親王 (1897-1899・第十皇女子/第十五子・夭折) | |||||||||||||||
園祥子 (1867-1947) | |||||||||||||||
明治天皇 (1852-1912) 在位 1867-1912 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大正天皇 (1879-1926) 在位 1912-1926 | 竹田宮恒久王 (1882-1919) | 昌子内親王 (1888-1940) | 北白川宮成久王 (1887-1923) | 房子内親王 (1890-1974) | 朝香宮鳩彦王 (1887-1981) | 允子内親王 (1891-1933) | 東久邇宮稔彦王 (1887-1990) | 聡子内親王 (1896-1978) | 昭和天皇 (1901-1989) 在位 1926-1989 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭和天皇 (1901-1989) 在位 1926-1989 | 竹田恒徳 (1909-1992) | 永久王 (1910-1940) | 朝香孚彦 (1912-1994) | 盛厚王 (1916-1969) | 成子内親王 (1925-1961) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上皇 (明仁) (1933-) 在位 1989-2019 | 竹田恒正 (1940-) | 北白川道久 (1937-2018) | 朝香誠彦 (1943-) | 東久邇信彦 (1945-2019) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今上天皇 (徳仁) (1960-) 在位 2019- | 竹田家 | (男系断絶) | 朝香家 | 東久邇家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||