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ノート:男性差別

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「男性差別」をめぐる議論の掲載について

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「ある制度や慣習が『男性差別』と言えるのかどうか」という点については、様々な立場から議論が行なわれています。

これらの議論は、必ずしも男性が社会的に不利益を被っていることを否定するものではありません(この点については、当該文献をご覧いただけると幸いです)。

また今回掲載した説明には、学術書あるいは学術研究にもとづいた書籍を出典として明記しています。特に『はじめてのジェンダー論』などは複数の大学の講義で教科書や参考図書として指定されており、Wikipediaにおける「もっとも信頼できる情報源」に該当します(「(書籍名) シラバス」で検索していただくと、教科書指定している講義が出てきます)。「男性差別」の記事には、執筆者名の分からないネットニュースが情報源として採用されていますが、それよりも信頼度の高い情報を掲載しないのは合理的でないと考えられます。

なおWikipediaでは情報源の評価について、「権威ある情報源の間での不一致は、それが信頼できる情報源に基づくかぎり許容されます。しかしその不一致については明白な形で記事中で示されるべきです」とされています。なので今回掲載した説明に異論がある場合には、同程度に信頼できる情報源に基づいて、不一致を明記するべきです。すくなくとも、なんら正当な説明のないままに削除することは合理的でないと考えられます。 --YuuMjp会話2018年10月8日 (月) 09:29 (UTC)[返信]

「様々な立場から議論が行なわれている」と仰いますが、そう言えるほど現時点での男性差別の議論は進んでいないのではないでしょうか。
ですから、そもそも「議論」の内容以前の問題として、「議論」という項目の掲載が(あくまでも2018年現在では)必要だとは思いません。男性差別を否定する意図がないのであれば尚更のことです。
実際、男性差別以上に議論が進んでいるはずの『女性差別』の記事でさえも「議論」などという項目は存在していません。ここは『女性差別』に倣い、「事例」を中心とした記事にしておくべきでしょう。
ネットニュースが情報源の中心となっていることを問題視するのであれば、もっと信頼できる情報源から男性差別の「事例」を拾っていく方向で記事を執筆していってはいかがでしょうか。
ひとまず今回の編集は取り消させていただきます。
--ひまわりねんど会話2018年10月8日 (月) 13:58 (UTC)[返信]

報告 sockpuppetにコメントを行う資格はありませんので、以上のsockpuppetによるコメントに取消線を引きました。--Pinkpastel会話2018年10月9日 (火) 11:46 (UTC)[返信]

今後「議論」のような項目を新たに立てる場合は、独自の判断で書き加える前に、まずノートでその項目の必要性を提案し、反対意見の有無を確認してからにしていただきたいです。
--ひまわりねんど会話2018年10月8日 (月) 14:08 (UTC)[返信]
ウィキペディアにおける中立性の問題は、「可能な限り編集によって解決すべき」です。きちんとした情報源が明記されているのであれば、「現時点での男性差別の議論は進んでいない」という主観によって削除する手法は不適切だと考えます。

Kikuchi Taro会話2018年10月8日 (月) 14:38 (UTC)[返信]

この「議論」という項目について検討または修正すべきだと思われるポイントを、まず3つ挙げておきます。
1. 「議論」と題していながら「特定の個人」の意見の羅列が目立っていること。
例えば、とあるフェミニストの個人の持論が記載されていました。しかしそれはその個人の記事に書いておけば事足りるでしょう。
通常、議論とは「論じ合うこと」を意味します。「議論」と題して項目を付け加えるからには、異なる見解の者同士が論を交わした例を取り上げるべきです。そうでなければ中立的観点も保てません。
「男性差別の議論が進んでいない」という私の発言が主観であり事実と異なるのであれば、明確に「議論」と題するに相応しい実例があるはずです。
2. 「哲学的差別論」という項目を『男性差別』の議論に加える必要性。
この内容自体は差別全般に関するひとつの説でしょう。
女性差別にも言えることですし、他のさまざまな差別にも当てはまります。わざわざ『男性差別』が表題の本記事にそれを書き加えるのは不自然です。
3. そもそも「議論」という項目は必要なのか。
「議論」と題するからには、どうしても「それは男性差別ではない」と否定する見解も掲載することになります。
「ある制度や慣習が『男性差別』と言えるのかどうか」という点について意見が出ているのは事実ですが、ウィキペディアの影響力を考えると、差別への否定意見をその差別の名称を表題とする記事に掲載することについては、もっと慎重になるべきでは?
否定意見も載せなければ中立性を損なってしまい、ウィキペディアの方針から外れると考えられるのであれば、たしかに修正が必要です。が、先にも書いたとおり、現在『女性差別』には「議論」なる項目は設けられておらず、「○○という事例は女性差別に当たらないとする意見もある」のような記述は記事内には見受けられません。『人種差別』も確認しましたが、基本的には同様のようです。
あなたはこれらの記事について、差別を指摘する見解を記載するだけでは不十分だとお考えなのでしょうか?
ウィキペディアの影響力を考慮してなお、それでも今まで他の記事にはなかった「議論」の項目が必要だとお考えなのでしょうか?
以上。
とくに3については他の記事の方向性とも関係する重要な点なので、意見を頂きたいです。
--ひまわりねんど会話2018年10月8日 (月) 16:17 (UTC)[返信]

ご返答ありがとうございます。 問題提起について、以下で大きく3点意見を述べたのち、節の名称を「理論的検討」に改めることを提案いたします。

1: 学術研究やそれに基づく教科書などは、単なる「特定個人の意見」ではありません

学術的な研究は、学会での議論や査読などを通じて複数の人々からの検討を受けています。そのため、単に著者が1名であるからといって、それが「特定個人の意見」であるとは言えません。ウィキペディアにおいて学術書や教科書が「信頼できる情報源」とされる根拠はここにあります。
また、そうした文献に「男性差別」に関連する指摘が掲載されているということから、少なくとも一定の議論が行われていると考える方が合理的だと思われます。

2: 哲学的差別論において「男性差別」が検討されている、ということは「男性差別」の記事に書く意味があると考えられます。

もしも哲学的差別論を詳しく説明するのであれば、「差別」に関する記事に書くべきでしょう。ですが、「哲学的差別論のなかで性別に関する差別が重要な例として取り上げられている」ということ、さらに言えば「『男性差別』と考えらえる事例にも議論が適用されている」ということは、「男性差別」を理論的に検討する上で重要な情報となるはずです。確かに説明の書き方を修正する必要はあるかもしれませんが、掲載すること自体は意味があると考えられます。
2の補足: 性差別を事例に挙げる哲学的差別論は、掲載しようとする事例が「差別」と呼べるのか、ということを考える指針になり得ます。
まず確認ですが、「不当である」ということと「差別である」ということは異なる概念です。差別ではないが不当である、という事例は数多くあります(たとえば、コンビニで商品を万引きされることは不当ですが、万引きという行為自体は差別ではないでしょう)。差別とは、あくまで「不当なこと」の特殊な類型です。それゆえ、「不当である」からといって即座に「差別」として掲載するのが妥当だとはかぎりません。「何が差別と呼べるのか」は大変複雑な問題なのです。
そのため哲学的差別論についてごく簡単にでも言及しておくことによって、事例を掲載するときの1つの指針として活用できると考えられます。これは記事の品質を高めることにもつながるはずです。

3: 必ず否定的な意見を掲載しなければならない、というわけではありません。しかし、極めて信頼度の高い情報源において否定的な意見が為されているとすれば、それを無視することは中立的ではありません

また、異論を掲載することになるからといって、必ずしも「差別ではない」と否定する見解を宣伝することになるとはかぎりません。たとえば、適切な出典に基づいて「それは差別ではない」という論を説明し、それに対して適切な出典に基づいて反論を加筆すれば、むしろ差別否定論に対する批判を打ち出すこともできます。
そうである以上、信頼できる情報源に基づいているかぎりにおいて、異論を掲載することは意味があると考えられます。まさに「権威ある情報源の間での不一致は、それが信頼できる情報源に基づくかぎり許容されます。しかしその不一致については明白な形で記事中で示されるべきです」。
3の補足1: ただし匿名ネット記事などのような、信頼度の低い情報源を用いながら「それは差別ではない」という論を掲載することは、差別問題の矮小化につながります。また、そもそも記事の品質を下げることにもなります。
確かにWikipediaには一定の影響力があり、また差別は極めてセンシティブな問題です。そうであるからこそ、差別問題については、特に出典選びに注意する必要があります。「それは差別ではない」という論についても、それに対する反論についても、特に強く信頼できる文献(査読付きの学術研究や、それを踏まえた教科書など)のみを出典とするべきでしょう。
だからこそ、「今回掲載した説明に異論がある場合には、同程度に信頼できる情報源に基づいて、不一致を明記するべき」と考えられます。
3の補足2: 仮にある制度や慣習が差別でないとしても、「そこに問題は含まれるため、将来的に解消されるべきだ」という主張は依然として成り立ちます。
前にも述べたように、「差別である」と「不当である」は異なります。繰り返しになりますが、これらの議論は、必ずしも男性が社会的に不利益を被っていることを否定するものではありません。また「ある個別の事例が『男性差別』ではない」と主張することは、「男性差別」が存在しえないと主張することとは異なります。
3の補足3: 他の記事と掲載情報の質・量を厳密に揃える必要はないと考えられます。
たとえば「男性差別」には法令の表が掲載されていますが、「女性差別」の記事には掲載されていません。「男性差別」記事において法令の節は2013年から存在しており、現に数年にわたって、両記事は対称的ではありませんでした。もし『女性差別』にない項目を掲載するべきでないとすれば、法令に関する記述も削除されるべき、ということになると考えられます。

●提案 以上を踏まえて、もしも「議論」という名称が「否定的意見」の存在を暗示するということであれば、節の名称を「理論的検討」に改めるのはいかがでしょうか? この名称であれば、学術的な研究に基づく賛否両論を掲載できるのではないでしょうか。

--YuuMjp会話2018年10月9日 (火) 10:24 (UTC)[返信]


論争相手であるひまわりねんどさんが無期限の投稿ブロックを受けたということで、議論が解消されたものと判断いたしました。

--YuuMjp会話2018年10月10日 (水) 09:03 (UTC)[返信]

スレ立て失礼します

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事例-日本 において、女性専用車に関する記述がありましたが、最後の「痴漢対策とは明らかに無縁な〜」の件に関しての事例をどなたか教えて頂けますか?


~~ 黒坂ねう 2019年5月20日 (月) 13:47 (UTC)