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バリアント・ブラザーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザ・バリアント・ブラザーズ
 
左からジミージェリージョニー
(1979年)
タッグチーム
メンバー ジミー・バリアント
ジョニー・バリアント
ジェリー・バリアント
名称
  • ザ・バリアント・ブラザーズ
  • ザ・バリアンツ
デビュー 1973年
解散 1979年
団体

ザ・バリアント・ブラザーズThe Valiant Brothers)は、1970年代に活動したプロレスタッグチームである。実際には血縁関係はないが、「兄弟」であることをギミックに、金髪のショーマン派ヒールのユニットとしてWWWF(現:WWE)などで活躍した[1]

メンバー

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※3者とも190cm・120kg級の大型ラフファイターであり、シングルプレイヤーとしても実績を残している。

来歴

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1973年11月、ジミー・バリアント(前名ビッグ・ジム・ベイレン)とジョニー・バリアント(前名ジョン・L・サリバン)によって結成される[2]ボビー・ヒーナンマネージャーインディアナポリスWWAに登場し、1974年1月5日にブルーノ・サンマルチノ&ディック・ザ・ブルーザーからWWA世界タッグ王座を奪取[3]。同月25日のリターンマッチで一時タイトルは空位となるが、2月7日にも再びサンマルチノ&ブルーザーを破り王座に返り咲いた[3]

WWWFではキャプテン・ルー・アルバーノがマネージャーを務め、1974年5月8日、ペンシルベニア州ハンブルクにてディーン・ホー&トニー・ガレアを破りWWWF世界タッグ王座を獲得[4]。翌1975年5月13日、アレンタウンドミニク・デヌーチ&ビクター・リベラに敗れるまで、ペドロ・モラレスチーフ・ジェイ・ストロンボーゴリラ・モンスーンヘイスタック・カルホーンらによるチームを相手に、1年間に渡って王座を保持した[4]

1976年には全日本プロレスに来日して、6月2日に久留米にてジャイアント馬場&ジャンボ鶴田インターナショナル・タッグ王座に挑戦[5]。6月17日には草加にてグレート小鹿&大熊元司アジア・タッグ王座にも挑戦している[6]。その後はNWAの各テリトリーを転戦、1976年8月6日にはジョージアジム・バーネット主宰のGCW)でホー&ケン・マンテルからNWAジョージア・タッグ王座を、同年12月4日にはサンフランシスコにてロイヤル・カンガルーズからNWA世界タッグ王座をそれぞれ奪取[7][8]1978年1月にはエディ・グラハム主宰のCWFにて、フロリダ地区のUSタッグ王者チームに認定された[9]

この間、1975年から1977年にかけてはAWAのテリトリーにも参戦しており、ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーグレッグ・ガニア&ジム・ブランゼルが保持していたAWA世界タッグ王座に再三挑戦[10][11]。AWAの提携団体だった古巣のWWAでは1977年2月12日にムース・ショーラック&ポール・クリスティ、1978年7月22日にウイルバー・スナイダー&デヌーチを下してWWA世界タッグ王座に返り咲いた[3]

1978年末、肝炎を患ったジミーの代打として、WWAでの盟友ガイ・ミッチェルジェリー・バリアントを名乗ってジョニーと新チームを結成[12]。新生バリアント・ブラザーズとして再びWWFに参戦、1979年3月6日、ペンシルベニア州アレンタウンにてトニー・ガレア&ラリー・ズビスコからWWFタッグ王座を奪取する[4]。後にジミーも復帰して、トリオのヒール・ユニットとしてボブ・バックランドアンドレ・ザ・ジャイアントとの抗争アングルも組まれた[13]

同年10月22日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてイワン・プトスキー&ティト・サンタナに敗れて王座から転落したのを機に、WWFを離れユニットを解散。1980年2月にジョニーとジェリー(名義はラリー・バリアント)のコンビで全日本プロレスに来日、2月26日に人吉にて極道コンビのアジア・タッグ王座に再挑戦した[14]。その後は1982年下期にノースイースト地区のインディー団体IWFにおいて、ジョニーとジェリーのコンビで一時的に再結成している[15]

1996年11月16日、オリジナル・メンバーであるジミーとジョニーのコンビでWWF殿堂に迎えられた(インダクターは当時のWWF世界タッグ王者チームだったブリティッシュ・ブルドッグオーエン・ハート[1]

獲得タイトル

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ジミー&ジョニー
ジョニー&ジェリー

脚注

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  1. ^ a b c The Valiant Brothers”. WWE.com. 2016年2月12日閲覧。
  2. ^ Jimmy Valiant and Johnny Valiant”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
  3. ^ a b c d WWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
  4. ^ a b c d e History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月2日閲覧。
  5. ^ AJPW NWA World Champion Series - Day 10”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
  6. ^ AJPW NWA World Champion Series - Day 22”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
  7. ^ a b NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  8. ^ a b NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  9. ^ a b NWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  10. ^ The AWA matches fought by Johnny Valiant in 1976”. Wrestlingdata.com. 2016年2月12日閲覧。
  11. ^ The AWA matches fought by Johnny Valiant in 1977”. Wrestlingdata.com. 2016年2月12日閲覧。
  12. ^ "Luscious" Johnny Valiant killed in auto accident”. Slam Wrestling (2018年4月4日). 2020年10月29日閲覧。
  13. ^ WWE Yearly Results 1979”. The History of WWE. 2010年1月13日閲覧。
  14. ^ AJPW Excite Series 1980 - Day 10”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
  15. ^ Matches: Valiant Brothers”. Cagematch.net. 2018年4月27日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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