パガニーニの奇想曲による練習曲
『パガニーニの奇想曲による練習曲』(ドイツ語: Studien nach Capricen von Paganini )作品3は、ロベルト・シューマンが1832年に作曲した作品。シューマンが作曲した二つの練習曲集のなかの一つである(もう一つは『パガニーニの奇想曲による6つの演奏会用練習曲』作品10)。
二つの練習曲集はシューマンの練習曲に対する問題意識やパガニーニに対するシューマンの捉え方を具体的に表した作品でもある。シューマンは練習曲に言及した批評家でもあり、またその当時多々あった練習曲を独自の見解で分類表にまとめ、近代的なピアノ練習法の確立に大いに貢献したのであった[1]。
経緯
[編集]シューマンは早くからパガニーニに強い関心があり、1830年4月にフランクフルトで彼は初めてヴァイオリンの鬼才パガニーニの演奏を聴くことになる。シューマンはこの時の様子を日記でこのように述べている。「芸術の理想へのパガニーニの疑念、偉大で高貴で厳かな芸術の平穏さの欠如」。彼は「技巧性を偏重し、芸術性が犠牲になる」というものに否定的だった[2]。しかし、ピアノ曲に編曲に至った経緯をこのように説明している。「彼の作曲、ことにこの練習曲の原作になったヴァイオリンのカプリスは、徹頭徹尾まれにみる新鮮で軽快な着想から生まれたもので、おびただしい金剛石を含んでいる」。シューマンはこの奇想曲の豊かさを認め、躍動的な楽想に創作意欲を得たのは確かである[2]。
編曲の過程
[編集]シューマンは編曲にあたってピアノ演奏技巧や表現の点で苦労したと思われる。このことについて『パガニーニの奇想曲による6つの演奏会用練習曲』(作品10)の批評で「以前に出版された『パガニーニによる練習曲』(作品3)では、私はなるべく原作の一音一音を写しとり、ただ和声の組み立てだけにすることにした。」と述べている。編曲に対しシューマンは、晩年のバッハの無伴奏ヴァイオリンやチェロの作品のピアノ伴奏付けの編曲でもそうであったように、原作を自由に改作することには慎重だった[3]。
編曲においてシューマンは、パガニーニの奇想曲の全曲を編曲したわけではない。作品3では原作の第5曲、第9曲、第11曲、第13曲、第16曲、第19曲が取り上げられた。編曲にあたってシューマンは、ハインリヒ・ドルンからの助けを得ている[4]。シューマンはドルンに1831年7月から1832年4月の復活祭までの短期間、フーガや対位法などの作曲や創作の基本を学んでいた。そしてドルンがライプツィヒを離れることになった際、シューマンは彼に対して惜別の手紙をしたためている。そこには「再び貴方とカノンの勉強をする希望を捨ててはいないことを告白します……パガニーニのカプリスをピアノ用に編曲するのにあなたの手助けがなくてたいへん困りました。低音部の扱いにしばしば自信がもてなかったのです。」などと記していることから、シューマンがドルンに対して強い信頼があったとともに、彼にとって非常に大きな存在だったことが分かる[4]。
リストの編曲との比較
[編集]ヴァイオリンの鬼才パガニーニの登場は多くの作曲家に影響を与えた。今日有名な『パガニーニによる大練習曲』を作ったフランツ・リストもその一人である。リストはこの練習曲を1838年に編曲しているが、それは1832年に編曲したシューマンの練習曲に刺激を受けていたのは確かであろう。ただ、リストが取り上げたカプリスはシューマンの編曲とは重複があまりない[5]。また、リストの練習曲集の第3曲にはシューマンが作曲を中断した、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番の第3楽章に基づく「ラ・カンパネラ」が収められている[注釈 1](シューマンが編曲した6曲とパガニーニの原曲との対照は「構成」の節にて扱う)。シューマンの練習曲とリストの編曲で共通に取り上げられたカプリスは、シューマンの第1曲とリストの第1曲(原作の第5曲)、シューマンの第2曲とリストの第5曲(原作の第9曲)のみである。ただ、両者の練習曲を比較すると、互いの目指していた道の相違点について考察する上でいい材料となるだろう。
構成
[編集]シューマンは序文に「ピアノの性格と機構に適した編曲を行い、可能な限りオリジナルに忠実であることを旨とした」と記すとともに、演奏技巧に関する注記も掲載している[6] 以下
- 第○曲 演奏記号 〔パガニーニの『24の奇想曲』の第●曲からの編曲〕
- 調性、拍子
- 解説
と記載することにする。
- 第1曲 Agitato 〔原曲 第5曲〕
- 第2曲 Allegretto 〔原曲 第9曲〕
- 第3曲 Andante 〔原曲 第11曲〕
- 第4曲 Allegro 〔原曲 第13曲〕
- 変ロ長調、8分の6拍子。
- 第5曲 Lento, Allegro assai 〔原曲 第19曲〕
- 第6曲 Allegro molto 〔原曲 第16曲〕
注釈
[編集]- ^ 。シューマンは1831年10月に『〈ラ・カンパネラ〉の主題による変奏曲』を構想し、作曲に着手した。若きシューマンはヴィルトゥオーソを目指していたこともあり、2つの練習曲とともに演奏家としての自身のキャリアを形成するための作品としてこの変奏曲が計画されたと考えられる。残された断片によると、それはリストの悪魔的な作品とは異なり、牧歌的なたたずまいをみせていると推測される
出典
[編集]参考文献
[編集]- 西原稔『シューマン全ピアノ作品の研究 上』音楽之友社、2013年。
- ロベルト・シューマン『Gesammelte Schrin über Musik und Musiker』Georg Wigand’s Verlag、1854年。
- ロベルト・シューマン『Robert Schumann Tagebücher Bd, 1 1827-1838 』 ed. Eismann, Georg; Gerd Nauhaus. Deutscher Verlag für Musik、1971年(日記)。
- 藤本一子『作曲家◎人と作品シリーズ シューマン』音楽之友社、2008年。