リカルド・クアレスマ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
ポルトガル代表でのクアレスマ(2017年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
リカルド・アンドラーデ・クアレスマ・ベルナルド Ricardo Andrade Quaresma Bernardo | |||||
愛称 |
ハリー・ポッター、マスタング スィガーノ | |||||
ラテン文字 | Ricardo Quaresma | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ポルトガル | |||||
生年月日 | 1983年9月26日(41歳) | |||||
出身地 | リスボン | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1997-2001 | スポルティングCP | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2003 | スポルティングCP | 59 | (8) | |||
2003-2004 | バルセロナ | 22 | (1) | |||
2004-2008 | ポルト | 114 | (24) | |||
2008-2010 | インテル・ミラノ | 24 | (1) | |||
2009 | → チェルシー (loan) | 4 | (0) | |||
2010-2012 | ベシクタシュ | 46 | (18) | |||
2013 | アル・アハリ | 10 | (2) | |||
2014-2015 | ポルト | 42 | (10) | |||
2015-2019 | ベシクタシュ | 181 | (20) | |||
2019-2020 | カスムパシャSK | 26 | (4) | |||
2020-2022 | ヴィトーリアSC | 51 | (6) | |||
代表歴2 | ||||||
2000 | ポルトガル U-17 | 5 | (2) | |||
2000-2001 | ポルトガル U-19 | 4 | (0) | |||
2002-2006 | ポルトガル U-21 | 22 | (7) | |||
2003-2018 | ポルトガル | 80 | (10) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年8月26日現在。 2. 2018年7月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
リカルド・アンドラーデ・クアレスマ・ベルナルド(Ricardo Andrade Quaresma Bernardo, 1983年9月26日 - )は、ポルトガル・リスボン出身のサッカー選手。元ポルトガル代表。ポジションはミッドフィールダーで主に左右のサイドミッドフィールダーとしてプレーしている。ポルトガルでの発音はクァレズマかクァレジュマに近い。
優れたプレーヤーを輩出してきたスポルティングCPのアカデミーの出身であり、先輩にルイス・フィーゴ、後輩にクリスティアーノ・ロナウドやナニらがいる。
経歴
[編集]クラブ
[編集]ポルトガルの首都・リスボンにて生まれる[1]。スポルティングCPのアカデミーに練習生として加入し、17歳であった2001-02シーズンの開幕を前に、当時の監督のラースロー・ベレニの采配によってトップチームに昇格。 一部リーグで28試合に出場して3得点を挙げ、チームの二冠達成に貢献した[2][3]。
2003年、クアレスマは600万ユーロの年収とファビオ・ロッケンバックとのトレードでスペインの名門・FCバルセロナに引き抜かれた[4]。バルセロナでの1年目は10試合に先発出場・12試合に途中出場し、5-0で勝利したホームでのアルバセテ・バロンピエ戦で得点を記録した[5]。
しかし2003-04シーズン最終週で足の甲を骨折し、噂されていたUEFA EURO 2004とU-21欧州選手権の両方に欠場することを余儀なくされた[6]。また監督のフランク・ライカールトとの確執も生じ、ライカールト指揮下のチームではプレーしないと公に宣言するまでに至った[7]。
シーズンの終了後、クアレスマはポルトガル代表のデコと入れ替わる形で、ポルトガルの名門であるFCポルトに移籍した[2][8]。2004-05シーズンはSLベンフィカとのスーパーカップにて唯一となる得点を挙げ、勝利に貢献するなど順調なスタートを切る[9]。また試合は2対1で敗北したものの、UEFAスーパーカップのバレンシアCF戦でも得点を挙げた[10]。
初のシーズンでは32試合に出場し5得点を挙げ、リーグ2位に貢献した。翌2005-06シーズンには、ドリブルだけではなくクロスから多くの好機を演出しリーグのアシスト王となり、29試合に出場してリーグとカップの二冠に大きく貢献した。活躍が代表監督・ルイス・フェリペ・スコラーリの目に止まり、2006 FIFAワールドカップの予選で招集を受け試合にも出場するものの、本大会のメンバー入りはならなかった。[要出典]
2006-07シーズンにはリーグ2連覇を達成した。自身も26試合に出場し6得点を記録し年間最優秀選手を受賞。技術的にも精神的にも成長を見せ、代表も継続的に呼ばれるようになり、左右のウイングとして先発出場も増えた。シーズンオフにはリーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリードや、プレミアリーグのリヴァプールFCといったビッグクラブへの移籍も噂されたが残留し、リーグ3連覇とチャンピオンズ・リーグでの躍進を目指す事となった。[要出典]
2008年8月に移籍期限ぎりぎりでイタリアの強豪インテルに1860万ユーロという高額な移籍金、加えてペレのトレードという事で加入した[11][12]。「ビッググラブでプレーしたい」という本人の希望に加え、インテル監督に就任したジョゼ・モウリーニョが強く求めていた選手の1人であった。デビュー戦のホームでのカルチョ・カターニア戦では、トレードマークのカーブシュートで得点を記録し、2対1での勝利に貢献した[13]。しかしこのシーズンは先発11試合の出場に留まり、さらに監督のモウリーニョも「クアレスマは素晴らしい選手だが、イブラヒモビッチはさらに素晴らしい働きをしてくれる[14][15]」と語るなど、同じポジションのイブラヒモビッチに活躍を譲る事となる。シーズン終了後には、ラジオ局のリスナーが選ぶイタリア年間最悪選手賞である「金のバケツ賞」を受賞してしまい[16]、その後はチャンピオンズリーグの登録メンバーからも外れる等、イタリアでの挑戦は散々な結果となってしまった。
2009年2月冬の移籍市場で期限ギリギリでチェルシーFCにレンタル移籍[6][17]し、5日後のホームでのハル・シティ戦で初出場を果たし、試合は0-0の引き分けに終わった[18]。また3月7日のFAカップ6回戦のコベントリー・シティ戦では、アレックスへのクロスを送り得点をアシストした。当時クアレスマは「インテルにいたときはあまり自信がなかった。良いプレーができなかったし、満足していなかった。でも、チェルシーに来てからは自信を取り戻す事ができた。インテルでは味わえなかった喜びが、僕に戻ってきた。」と語っている[19]。 シーズン終了後、インテル側はジェノアへの放出を検討する[20]が本人が拒否し、インテルに復帰した[21]。復帰後は引退した同じくポルトガル出身のレジェンドであった、ルイス・フィーゴが付けていた背番号7番を引き継いだ[22]。だがチームは三冠を達成したものの、自身はわずか13試合の出場に終わった[23][24]。
2010年6月13日、トルコのベシクタシュJKに移籍した[25]。UEFAヨーロッパリーグ予選第3ラウンドのプルゼニ戦で加入後初ゴールを決めた[26]他、トルコカップ決勝のイスタンブール・バシャクシェヒルFK戦では33分に先制ゴールを決め、チームもPK戦の末に4対3で勝利し、試合後には決勝戦のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[27]。
2011年4月25日の試合では、クアレスマはチームメイトのニハト・カフヴェジと試合中に口論を起こしたが、チームメイトの仲裁により和解した[28]。また3対1で敗れた3月8日のヨーロッパリーグのラウンド16の1stレグのアトレティコ・マドリード戦では、ハーフタイムでイスマイル・コイバシュとの交代を指示された事で、ドレッシングルームで監督のカルロス・カルヴァリャルと口論となり、「俺がいなけりゃアンタもここにはいなかっただろう」と口にし、水筒を投げつけたと報じられた[29]。この一件でクラブからは無期限の出場停止処分を受け、契約満了を6か月残して契約を解除した[30][31]。
2013年1月にUAEリーグのアル・アハリに加入した[32][33]。しかし、2013年5月に契約を解除した。
アル・アハリ退団後、無所属の状態が続いていたが、2014年1月1日、5年半ぶりにポルトに復帰した[34]。
2015年7月、ベシクタシュに復帰した。
2019年8月29日、カスムパシャSKへの完全移籍が発表された[35]。2019-20シーズンはリーグ戦27試合に出場し4ゴールを挙げた[36]。2020年7月29日、カスムパシャを退団することが発表された[36]。
代表
[編集]代表では、2003年にデビューを飾ると、以降徐々に出番を得た。2007年からはコンスタントに出場してUEFA欧州選手権に3大会連続で出場するなど、代表に定着した。EURO 2016では、ラウンド16のクロアチア戦で決勝ゴールを挙げる[38]など、ポルトガル代表の初優勝に貢献した。FIFAワールドカップには2018年のロシア大会に34歳で初出場を果たすと、グループリーグ第3戦のイラン戦で1得点を挙げている。
人物・エピソード
[編集]- 父方の家系はロマであり、その血統を大事にしている。
- 幼少の頃は、空手とローラーホッケーに熱中していた。
- 以前はナイキのスパイクを使用していたが2007年シーズンからアディダスに変更した。
- 元ポルトガル代表GK・ビトール・バイーアを第二の父親と慕っていた。
個人成績
[編集]クラブ
[編集]クラブ | リーグ | カップ | リーグカップ | 国際大会 | その他 | 通算 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
クラブ | シーズン | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
ポルトガル | リーグ | タッサ・デ・ポルトガル | タッサ・ダ・リーガ | ヨーロッパ | その他 | 通算 | ||||||||
スポルティングCP | 2001-02 | スーペル・リーガ | 28 | 3 | 6 | 2 | - | - | 2 | 0 | - | - | 36 | 5 |
2002-03 | 31 | 5 | 2 | 0 | - | - | 4 | 0 | 1 | 0 | 38 | 5 | ||
通算 | 59 | 8 | 8 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 74 | 10 | ||
スペイン | リーグ | コパ・デル・レイ | スーペルコパ・デ・エスパーニャ | ヨーロッパ | その他 | 通算 | ||||||||
バルセロナ | 2003-04 | リーガ・エスパニョーラ | 22 | 1 | 2 | 0 | - | - | 4 | 0 | - | - | 26 | 1 |
通算 | 22 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 28 | 1 | ||
ポルトガル | リーグ | タッサ・デ・ポルトガル | タッサ・ダ・リーガ | ヨーロッパ | その他 | 通算 | ||||||||
ポルト | 2004-05 | スーペル・リーガ | 32 | 5 | 1 | 0 | - | - | 8 | 0 | 1 | 1 | 42 | 6 |
2005-06 | 29 | 5 | 4 | 0 | - | - | 6 | 0 | - | - | 39 | 5 | ||
2006-07 | 26 | 6 | 1 | 0 | - | - | 8 | 2 | 1 | 0 | 36 | 8 | ||
2007-08 | 27 | 8 | 3 | 1 | - | - | 8 | 2 | 1 | 0 | 39 | 11 | ||
通算 | 114 | 24 | 9 | 1 | 0 | 0 | 30 | 4 | 3 | 1 | 156 | 30 | ||
イタリア | リーグ | コッパ・イタリア | - | ヨーロッパ | その他 | 通算 | ||||||||
インテル | 2008-09 | セリエA | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | - | - | 19 | 1 |
2009-10 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | - | 13 | 0 | ||
通算 | 24 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 32 | 1 | ||
イングランド | リーグ | FAカップ | リーグカップ | ヨーロッパ | その他 | 通算 | ||||||||
チェルシー | 2008-09 | プレミアリーグ | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 5 | 0 |
通算 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | ||
トルコ | リーグ | テュルキエ・クパス | - | ヨーロッパ | その他 | 通算 | ||||||||
ベシクタシュ | 2010-11 | スュペル・リグ | 21 | 3 | 8 | 3 | - | - | 10 | 5 | - | - | 39 | 11 |
2011-12 | 25 | 5 | 1 | 0 | - | - | 8 | 2 | - | - | 34 | 7 | ||
通算 | 46 | 8 | 9 | 3 | 0 | 0 | 18 | 7 | 0 | 0 | 73 | 18 | ||
UAE | リーグ | UAEプレジデントカップ | リーグカップ | ヨーロッパ | その他 | 通算 | ||||||||
アル・アハリ | 2012-13 | UAEプロリーグ | 10 | 2 | 1 | 1 | - | - | - | 11 | 3 | |||
通算 | 10 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 3 | ||
ポルトガル | リーグ | タッサ・デ・ポルトガル | タッサ・ダ・リーガ | ヨーロッパ | その他 | 通算 | ||||||||
ポルト | 2013-14 | スーペル・リーガ | 12 | 4 | 3 | 1 | 3 | 1 | 6 | 4 | - | 24 | 10 | |
2014-15 | 30 | 6 | 0 | 0 | 3 | 1 | 10 | 3 | - | 43 | 10 | |||
通算 | 42 | 10 | 3 | 1 | 6 | 2 | 16 | 7 | 0 | 0 | 67 | 20 | ||
トルコ | リーグ | テュルキエ・クパス | - | ヨーロッパ | その他 | 通算 | ||||||||
ベシクタシュ | 2015-16 | スュペル・リグ | 26 | 4 | 5 | 0 | - | 6 | 1 | - | 37 | 5 | ||
通算 | 26 | 4 | 5 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 37 | 5 | ||
通算 | ポルトガル | 215 | 42 | 20 | 4 | 6 | 2 | 52 | 11 | 4 | 1 | 297 | 60 | |
スペイン | 22 | 1 | 2 | 0 | - | - | 4 | 0 | - | - | 28 | 1 | ||
イタリア | 24 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 32 | 1 | ||
イングランド | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | ||
トルコ | 72 | 12 | 14 | 3 | 0 | 0 | 24 | 8 | 0 | 0 | 110 | 23 | ||
UAE | 10 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 3 | ||
総通算 | 347 | 58 | 40 | 8 | 6 | 2 | 88 | 19 | 4 | 1 | 486 | 87 |
代表歴
[編集]出場大会
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 80試合 10得点(2003年-2018年)[39]
ポルトガル代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2003 | 1 | 0 |
2004 | 1 | 0 |
2005 | 2 | 0 |
2006 | 2 | 0 |
2007 | 12 | 1 |
2008 | 7 | 2 |
2009 | 0 | 0 |
2010 | 2 | 0 |
2011 | 5 | 0 |
2012 | 3 | 0 |
2013 | 0 | 0 |
2014 | 4 | 1 |
2015 | 6 | 0 |
2016 | 17 | 4 |
2017 | 10 | 1 |
2018 | 8 | 1 |
通算 | 80 | 10 |
得点
[編集]# | 開催日 | 会場 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2007年3月24日 | リスボン、エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ | ベルギー | 3-0 | 4-0 | UEFA EURO 2008予選 |
2. | 2008年2月6日 | チューリッヒ、レッツィグルンド | イタリア | 2-1 | 3–1 | 親善試合 |
3. | 2008年6月11日 | ジュネーヴ、スタッド・ドゥ・ジュネーヴ | チェコ | 1-3 | 1-3 | UEFA EURO 2008 |
4. | 2014年10月11日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | フランス | 2-1 | 2–1 | 親善試合 |
5. | 2016年5月29日 | ポルト、エスタディオ・ド・ドラゴン | ノルウェー | 1-0 | 3-0 | |
6. | 2016年6月8日 | リスボン、エスタディオ・ダ・ルス | エストニア | 2-0 | 7-0 | |
7. | 6-0 | |||||
8. | 2016年6月25日 | ランス、スタッド・フェリックス・ボラール | クロアチア | 0-1 | 0-1 (延長) |
UEFA EURO 2016 |
9. | 2017年6月18日 | カザン、カザン・アリーナ | メキシコ | 1-0 | 2-2 | FIFAコンフェデレーションズカップ2017 |
10. | 2018年6月25日 | サランスク、モルドヴィア・アリーナ | イラン | 0-1 | 1-1 | 2018 FIFAワールドカップ |
タイトル
[編集]- スーペル・リーガ : 1 (2001-02)
- タッサ・デ・ポルトガル : 1 (2001-02)
- タッサ・ダ・リーガ : 1 (2001-02)
- インターコンチネンタルカップ : 1 (2004)
- スーペル・リーガ : 3 (2005-06, 2006-07, 2007-08)
- タッサ・デ・ポルトガル : 1 (2005-06)
- タッサ・ダ・リーガ : 1 (2005-06)
- FAカップ : 1 (2008-09)
- セリエA : 1 (2009-10)
- コッパ・イタリア : 1 (2009-10)
- UEFAチャンピオンズリーグ : 1 (2009-10)
- テュルキエ・クパス : 1 (2010-11)
- ポルトガル代表
- UEFA U-17欧州選手権 : 1 (2000)
- UEFA欧州選手権 : 1 (UEFA EURO 2016)
- 個人
- ポルトガル最優秀選手賞 : 2 (2005, 2006)
- ポルトガル・ゴールデンボール : 1 (2007)
- ビドーネ・ドーロ : 1 (2008)
脚注
[編集]- ^ “Rei da trivela, Quaresma fracassou no Barcelona e sofreu com preconceito por ser cigano” [King of trivela, Quaresma failed at Barcelona and fought prejudice for being gypsy] (ポルトガル語). ESPN (25 June 2018). 14 March 2022閲覧。
- ^ a b “Porto seal Quaresma deal”. UEFA (6 July 2004). 29 June 2018閲覧。
- ^ Palma, Tiago (13 June 2016). “Quaresma. As sete (ou oito, ou nove) vidas de um desalinhado com pernas tortas [Quaresma. The seven (or eight, or nine) lives of a misfit with crooked legs]” (ポルトガル語). Observador 6 August 2018閲覧。
- ^ Higham, Paul (18 July 2003). “Barca seal Quaresma swoop”. Sky Sports. 3 February 2010閲覧。
- ^ Piñol, Àngels (2 February 2004). “Una goleada balsámica [Therapeutic rout]” (スペイン語). El País 6 August 2018閲覧。
- ^ a b “Quaresma signs on loan”. Chelsea F.C (2 February 2009). 26 February 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。24 April 2013閲覧。
- ^ Acedo, Francisco (2004年). “Quaresma in Barca quit threat”. Sky Sports. 24 April 2013閲覧。
- ^ “Facto relevante” [Relevant fact] (ポルトガル語). FC Porto (6 July 2004). 5 December 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。17 April 2009閲覧。
- ^ “FC Porto-Benfica, 1–0: Dragão ganha primeira taça de futebol de praia [FC Porto-Benfica, 1–0: Dragon wins first beach soccer cup]” (ポルトガル語). Record. (21 August 2004) 6 August 2018閲覧。
- ^ “2004: Baraja brings joy to Valencia”. UEFA. 21 May 2014閲覧。
- ^ “インテル、ポルトガル代表MFクアレスマを獲得”. ゲキサカ. 2021年10月3日閲覧。
- ^ “Quaresma completes Inter switch”. Inter Milan (2008年9月1日). 2012年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月1日閲覧。
- ^ “Prima vittoria dell'Inter di Muorinho〔ママ〕 – Sconfitto il Catania, ma che fatica [First win for Mourinho's Inter – Catania beaten, but what an effort]” (イタリア語). La Repubblica. (13 September 2008) 6 August 2018閲覧。
- ^ “Mourinho: A deserved victory”. Inter Milan (2008年10月22日). 2012年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月23日閲覧。
- ^ “Mourinho fires warning to Quaresma”. PortuGOAL (2008年10月20日). 2012年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月23日閲覧。
- ^ “Quaresma wins Bidone d'Oro”. ESPN Soccernet (12 December 2008). 9 September 2012閲覧。
- ^ “チェルシーがクアレスマを獲得!”Goal、2009年2月3日
- ^ Hassan, Nabil (7 February 2009). “Chelsea 0–0 Hull”. BBC Sport. 24 April 2013閲覧。
- ^ “The Thursday Interview: Ricardo Quaresma”. Chelsea F.C (26 March 2009). 24 April 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。24 April 2013閲覧。
- ^ Masiello, Vince (7 September 2009). “Ricardo Quaresma vows to win over Inter fans”. Goal. 20 October 2009閲覧。
- ^ “Ricardo Quaresma pledges future to Internazionale”. The Guardian. (27 May 2009) 29 June 2018閲覧。
- ^ Mira, Luís (10 July 2009). “Jose Mourinho to give Ricardo Quaresma second Inter chance”. Goal. 2013年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。14 July 2009閲覧。
- ^ “Inter claim first gong of the treble”. ESPN Soccernet (6 May 2010). 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。29 June 2018閲覧。
- ^ “Bayern Munich 0–2 Internazionale”. ESPN Soccernet (22 May 2010). 2012年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。29 June 2018閲覧。
- ^ Ovunc, Ozdem (13 June 2010). “Quaresma Beşiktaş'ta [Quaresma in Beşiktaş]” (トルコ語). Hürriyet 13 June 2010閲覧。
- ^ “Eagles advance to playoffs after beating Czech side”. Today's Zaman. (7 August 2010). オリジナルの14 April 2011時点におけるアーカイブ。 11 April 2011閲覧。
- ^ “Eagles advance to playoffs after beating Czech side”. Today's Zaman. (7 August 2010). オリジナルの14 April 2011時点におけるアーカイブ。 11 April 2011閲覧。
- ^ Landolina, Salvatore (27 April 2011). “Besiktas' Nihat confirms intention to boycott Turkish football after Quaresma fight”. Goal. 2013年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。24 April 2013閲覧。
- ^ “Quaresma suspended indefinitely by Besiktas”. Goal (11 March 2012). 2013年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。12 March 2012閲覧。
- ^ “Quaresma released by Besiktas”. ESPN Soccernet (20 December 2012). 2013年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。21 December 2012閲覧。
- ^ Goal.com (2012年12月20日). “ベジクタシュ、クアレスマとの契約を解消”. 2012年12月20日閲覧。
- ^ Qoly.jp (2013年1月9日). “クアレズマ、UAEへの移籍が決定”. 2013年1月9日閲覧。
- ^ “ベジクタシュ退団のクアレスマがUAEへ”Goal、2013年1月9日
- ^ サッカーキング (2014年1月2日). “クアレスマが古巣ポルトに復帰「愛するクラブの力になりたい」”. 2014年1月3日閲覧。
- ^ “ポルトガルの魔術師クアレスマ、カスムパシャ移籍が決定!”. 超ワールドサッカー (2019年8月30日). 2023年10月17日閲覧。
- ^ a b “ポルトガルの魔術師クアレスマがカスムパシャを退団…新天地は古巣ポルトか”. 超ワールドサッカー (2020年7月30日). 2023年10月17日閲覧。
- ^ “元ポルトガル代表FWクアレスマがヴィトーリア・ギマランイスに完全移籍”. 超ワールドサッカー (2020年9月8日). 2023年10月17日閲覧。
- ^ ポルトガル対クロアチア - UEFA公式サイト
- ^ リカルド・クアレスマ - National-Football-Teams.com
外部リンク
[編集]- リカルド・クアレスマ - National-Football-Teams.com
- リカルド・クアレスマ - Soccerway.com
- リカルド・クアレスマ - Soccerbase.comによる選手データ
- リカルド・クアレスマ - FootballDatabase.eu
- リカルド・クアレスマ - WorldFootball.net
- リカルド・クアレスマ - Transfermarkt.comによる選手データ
- リカルド・クアレスマ - FIFA主催大会成績
- リカルド・クアレスマ - UEFA
- リカルド・クアレスマ - トルコサッカー連盟 (player)
- リカルド・クアレスマ - レキップ
- Turkish Football Ricardo Quaresma - Federation Football Database