コンテンツにスキップ

中華人民共和国国防委員会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中華人民共和国国防委員会(ちゅうかじんみんきょうわこくこくぼういいんかい)は、1954年9月の中華人民共和国憲法(1954年憲法)制定から、1975年1月の同憲法改正まで存在した、中華人民共和国の最高軍事指導機関。ただし、中国共産党の党軍であり、事実上の国軍である中国人民解放軍の統帥機関は中国共産党中央軍事委員会であったため、国防委員会は軍事政策に関する決定権を有していなかった。

概要

[編集]

1954年9月20日の中華人民共和国憲法制定により、それまで軍事に関する政策を決定していた中央人民政府人民革命軍事委員会中国語版が廃止された。中央人民政府人民革命軍事委員会はその結成段階において中国共産党中央軍事委員会を接収していたため、国家と中国共産党両方の最高軍事指導機関であった。中央人民政府人民革命軍事委員会の廃止にともない、国家と中国共産党の軍事指導機関は分離し、国家機構として国防委員会が成立、中国共産党の軍事活動決定機関として党中央軍事委員会が再設置された。

1954年憲法によると、国家元首である中華人民共和国主席(国家主席)が全国の武装力を統帥し、国防委員会主席を兼任すること(第42条)、全国人民代表大会または全国人民代表大会常務委員会の決定に基づき、国家主席が国防委員会副主席および委員を任命すること(第40条)が定められていた。国防委員会に関する憲法上の規定は上記のみであり、国防委員会の性格・職権については詳細が明らかになっていない。

中国共産党が国家を領導(指導)するという中華人民共和国の政治構造において、事実上の最高軍事指導・決定機関は党中央軍事委員会であり、国防委員会には軍の統帥権や軍事政策に関する決定権はなかった。これは現在の党中央軍事委員会と国家中央軍事委員会との関係に似ているが、現在の国家中央軍事委員会と国防委員会の違いは、国家中央軍事委員会の構成員は党中央軍事委員会と同一であるのに対し、国防委員会は国家主席によって招集され、委員には非共産党の軍人も多く含まれていた点である。この点から日本の中国政治研究者である毛里和子は、国防委員会の性格を「非共産党系の軍人を糾合する一種の統一戦線組織で、国防一般についての国家主席の諮問機関」であると指摘する。

一方で、中国軍事問題研究者の平松茂雄は国家主席の統帥権を重視し、この見方を否定する。国防委員会の副主席・委員は全国人民代表大会・同常務委員会によって決定され、国家主席によって任免されるから、国務院と同様国家主席に直属するものであり、また国防委員会主席は国家主席が兼任することから、委員会の方が国務院より上に位置していたとし、「国家主席を補佐する権限を持っていた」と推察する[1]。ただし、党中央軍事委員会の再設置により、国防委員会は機能しなかったとも指摘する[2]

国防委員会は1966年文化大革命が発動されると活動停止状態になり、1975年の憲法改正により廃止された。

沿革

[編集]

第1期全人代(1954年-1959年)

[編集]

国防委員会副主席および委員は1954年9月29日国家主席毛沢東の提案に基づき、第1期全国人民代表大会第1回会議の决定により任命された[3]

于学忠王世泰王宏坤王秉璋王新亭王震王樹声宋任窮宋時輪呂正操李先念李明揚李明灝林遵周士弟周保中周純全ンガプー・ンガワン・ジクメ洪学智唐生智唐亮徐海東孫蔚如許世友許光達韋国清ウランフ馬鴻賓高樹勲張宗遜張国華張雲逸張愛萍張達志陳士榘陳再道陳奇涵陳明仁陳紹寛陳賡陳錫聯陶峙岳鹿鍾麟彭紹輝曾沢生粟裕賀炳炎馮白駒黄永勝黄克誠黄琪翔(1958年2月1日解任[4])、楊成武楊勇楊得志董其武葉飛万毅廖漢生裴昌会趙爾陸劉文輝劉亜楼劉善本劉斐鄧兆祥鄧華鄧錫侯鄧宝珊滕代遠蔡廷鍇鄭洞国盧漢蕭克蕭勁光閻紅彦セイプディン・エズィズィ韓先楚韓練成羅瑞卿譚政蘇振華

第2期全人代(1959年-1965年)

[編集]

国防委員会副主席および委員は1959年4月28日、国家主席劉少奇の提案に基づき、第2期全国人民代表大会第1回会議が决定し、国家主席令の発布により任命された[5]

于学忠万毅韋国清王平王世泰王宏坤王秉璋王樹声王建安王新亭王震鄧兆祥鄧華鄧宝珊鄧錫侯孔従周盧漢葉飛劉文輝劉亜楼劉善本劉斐孫蔚如宋任窮宋時輪蘇振華李天佑李達李先念李明揚李明灝李聚奎陳士榘陳再道陳伯鈞陳奇涵陳明仁陳紹寛陳鉄陳賡陳錫聯呂正操鄭洞国林維先林遵張雲逸張達志張宗遜張国華張愛萍ンガプー・ンガワン・ジクメ羅瑞卿周士弟周保中周純全洪学智趙爾陸趙寿山侯鏡如高樹勲唐生智唐亮馬鴻賓サンポ・ツェワン・リンジンウランフ徐海東許世友許光達郭天民鹿鍾麟蕭克蕭勁光陶峙岳馮白駒曾沢生彭紹輝粟裕覃異之賀炳炎黄永勝黄正清黄克誠傅秋涛傅鐘楊志成楊成武楊勇楊得志董其武詹才芳廖漢生裴昌会蔡廷鍇滕代遠頼伝珠閻紅彦セイプディン・エズィズィ韓先楚韓練成譚政

第3期全人代(1965年-1975年)

[編集]

国防委員会副主席および委員は1965年1月4日、国家主席劉少奇の提案に基づき、第3期全国人民代表大会第1回会議が决定し、国家主席令第3号の発布により任命された[7]

方強王平王世泰王宏坤王諍王秉璋王建安王樹声王恩茂王新亭王震韋国清ウランフ鄧兆祥鄧宝珊孔従周盧漢葉飛劉文輝劉興元劉亜楼劉志堅劉培善劉善本劉斐許世友許光達呂正操孫大光孫志遠孫蔚如宋任窮宋時輪蘇振華李天佑李達李成芳李先念李寿軒李作鵬李明揚李明灝李涛李聚奎楊成武楊志成楊勇楊得志呉克華呉法憲邱会作邱創成張雲逸張達志張宗遜張国華張愛萍ンガプー・ンガワン・ジクメ陳士榘陳再道陳伯鈞陳奇涵陳明仁陳紹寛陳鉄陳錫聯鄭洞国林維先林遵周士弟周純全趙爾陸趙寿山侯鏡如高樹勲郭天民唐生智唐亮秦基偉徐海東サンポ・ツェワン・リンジン陶峙岳鹿鍾麟閻紅彦蕭華蕭克蕭勁光蕭望東崔田民曾沢生謝富治彭紹輝黄永勝黄新廷董其武韓先楚粟裕覃異之程子華傅秋涛傅鐘頼伝珠詹才芳セイプディン・エズィズィ廖漢生裴昌会滕代遠

脚注

[編集]
  1. ^ 平松(1987年)、132 - 133ページ。
  2. ^ 平松(1987年)、133ページ。
  3. ^ 「毛主席任命国防委員会組成人員」『人民日報』1954年9月30日、第1版。
  4. ^ a b 中華人民共和国主席令(一届五次会議) (中国語)
  5. ^ 「中華人民共和国主席令 任命国防委員会副主席、委員」『人民日報』1959年4月29日、第2版。
  6. ^ 中華人民共和国主席令(二届第16号) (中国語)
  7. ^ 「中華人民共和国主席劉少奇任命国防委員会副主席和委員」『人民日報』1965年1月5日、第2版。

参考文献

[編集]
  • 毛里和子『新版 現代中国政治』(名古屋大学出版会、2004年)
  • 平松茂雄『中国人民解放軍』(岩波書店、1987年)

関連項目

[編集]