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松風 (2代神風型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
発注: 1920年度計画(八八艦隊案
起工 1922年12月2日
進水 1923年10月30日
就役 1924年4月5日
その後 1944年6月9日戦没
除籍 1944年8月10日
性能諸元
排水量 基準:1,270t 公試:1,400t
全長 102.57メートル
全幅 9.16メートル
吃水 2.92メートル
機関 ロ号艦本式缶4基
パーソンズタービン2基2軸
38,500 SHP
速力 37.25ノット
航続距離 14ノット/3,600カイリ
燃料 重油:420トン
乗員 154名
兵装 45口径12cm単装砲4門
一〇年式53cm連装魚雷発射管3基
(魚雷8本)
三年式機砲2挺

松風(まつかぜ)は、大日本帝国海軍駆逐艦[1][2]

概要

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一等駆逐艦「松風」は[3]神風型(2代目)の4番艦である[4]。当初の艦名は第七駆逐艦[5][6]。続いて第七号駆逐艦[6][5]。 この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)松風[7][8][9]に続いて2隻目。

太平洋戦争開戦時、旧式化していた神風型4隻(松風、春風朝風旗風)は第五水雷戦隊所属の第5駆逐隊を編制しており、フィリピン攻略戦蘭印作戦に従事[1][10]1942年(昭和17年)3月に第五水雷戦隊が解隊されると、第5駆逐隊は南西方面で船団護衛任務に従事した[1]1943年(昭和18年)2月25日、第5駆逐隊は解隊[10][11]。横須賀での修理を終えた本艦はソロモン諸島に進出すると、外南洋部隊増援部隊の僚艦(浜風磯風時雨夕凪)等と共に、ニュージョージア島の戦いブーゲンビル島の戦いに伴う強行輸送作戦に従事した[1]1944年(昭和19年)2月17日、本艦はトラック島空襲に遭遇して損傷[1]。修理後、5月1日附で第30駆逐隊に編入[12]。再び船団護衛任務に従事するが、第3606船団船団護衛中の6月9日小笠原諸島近海で米潜水艦ソードフィッシュの魚雷攻撃により沈没した[1][13]

艦歴

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太平洋戦争以前

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本艦は舞鶴工作部で建造[14][15]。 舞鶴工作部で建造された神風型は3隻(春風、松風、旗風)である[16][17][18]。同工作部は、続いて神風型発展型の睦月型駆逐艦2隻(如月菊月)建造を担当した[15]

1921年(大正10年)10月12日、神風型駆逐艦7隻(第一駆逐艦《神風》第三駆逐艦《朝風》第五駆逐艦《春風》第七駆逐艦《松風》第九駆逐艦《旗風》第十一駆逐艦《追風》第十三駆逐艦《疾風》)、若竹型駆逐艦10隻(第二駆逐艦《若竹》第四駆逐艦《呉竹》第六駆逐艦《早苗》第八駆逐艦《早蕨》第十駆逐艦《朝顔》第十二駆逐艦《夕顔》、第十四駆逐艦《建造中止》、第十六駆逐艦《芙蓉》第十八駆逐艦《刈萱》、第二十駆逐艦《建造中止》)および掃海艇4隻に、それぞれ艦名が与えられる[19]

第七駆逐艦(松風)は1922年(大正11年)12月2日に起工[17]1923年(大正12年)10月30日、進水(三菱長崎造船所の軽巡川内と同日)[17][20]1924年(大正13年)4月1日、初代「松風」は除籍[8]。数日後の4月5日、第七駆逐艦(松風)は竣工[17]。竣工直後の4月24日に、第七駆逐艦は第七号駆逐艦に改名[6][5]。さらに1928年(昭和3年)8月1日附で第七号駆逐艦は「松風」と改名された[6][3]

ちなみに新造時の全力公試では速力39.2ノットを記録した。 竣工後から約5ヵ月後の同年9月2日[21]ワシントン海軍軍縮条約により薩摩型戦艦1番艦「薩摩」は標的艦として、東京湾外で撃沈処分される[22][23]日向金剛由良名取が「薩摩」(標的艦)に対して実弾射撃を行うが沈没せず、第5駆逐隊(第三号《朝風》、第五号《春風》、第七号《松風》)は「薩摩」を雷撃で処分した[23]

1926年(大正15年)10月16日午前0時、佐世保から大阪経由で横須賀にむけ移動中だった第二水雷戦隊(司令官坂本貞二少将)のうち[24]、本艦以下3隻(五十鈴、第7号駆逐艦《松風》、第9号駆逐艦《旗風》)は山口県豊浦郡安岡町沖合で座礁[25]。 第7号駆逐艦はスクリューが破損する等の軽微な損傷を蒙る[26]。 第7号駆逐艦(駆逐艦長吉田庸光中佐、航海長藤牧美徳大尉)以下関係者は処分を受けた[27][28]

1936年(昭和11年)5月上旬、「松風」は空母「鳳翔」と共に行動し、廃艦7号(海防艦見島《元ロシア海軍海防戦艦アドミラル・セニャーヴィン》)に対する演習観測を実施[29][30]。5月5日、爆撃による浸水と老朽化により、敷設艦「常磐」に曳航されていた廃艦7号は沈没した[31]。 9月6日、「松風」機関部で小火災が発生[32]。1名が死亡、3名が負傷した[33]

1938年(昭和13年)11月15日、第5駆逐隊(朝風、春風、松風、旗風)から神風型2隻(朝風、松風)が除籍され、同2隻(朝風、松風)で第45駆逐隊を新編し、江戸兵太郎大佐(第5駆逐隊司令兼第6駆逐隊司令)は第45駆逐隊司令も兼務することになった[34]

日本海軍は1940年(昭和15年)11月15日附で第45駆逐隊(朝風、松風)を解隊(駆逐隊司令金桝義夫大佐は軽巡大井艦長補職)[35]。2隻(朝風、松風)は元の第5駆逐隊に編入され、定数4隻(朝風、春風、旗風、松風)を揃えた。同日附で第五水雷戦隊も編制(五水戦司令官原顕三郎少将)[36]長良型軽巡洋艦3番艦「名取」、第5駆逐隊、第22駆逐隊(皐月水無月文月長月)は第五水雷戦隊に配属され、訓練に勤しんだ。

太平洋戦争緒戦

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太平洋戦争緒戦における第5駆逐隊(朝風、春風、松風、旗風)は、第五水雷戦隊(司令官原顕三郎少将)に所属してフィリピン攻略戦に参加[37][13][38]。 第5駆逐隊僚艦(朝風、春風、旗風)が活躍した1942年(昭和17年)3月1日のバタビア沖海戦における本艦は[39]第四航空戦隊(司令官角田覚治少将。空母龍驤)護衛のため不参加だった[40][41]

1942年(昭和17年)3月10日、第五水雷戦隊は解隊[42][43]。これに伴い第5駆逐隊は第一南遣艦隊に転属[44]。 3月下旬、第5駆逐隊はビルマ攻略作戦に従事[37][13]。東南アジア方面での輸送任務や船団護衛任務に従事した[37][13][45]

9月13日から、陸軍部隊を乗せてバタビヤからラバウルへ向かった軽巡洋艦「鬼怒」と「五十鈴」を途中まで護衛した[46]。9月23日には駆逐艦「朝風」とともに、第二師団歩兵第十六連隊の大部を乗せた輸送船7隻を護衛してバタビヤより出航[47]。船団はラバウルへ向かい、「松風」と「朝風」は9月29日まで護衛した[47]

昭和18年の行動

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1943年(昭和18年)2月25日、第5駆逐隊は解隊[11][45]。「朝風」は第一海上護衛隊に編入[45]。前年11月16日に触雷して大破していた「春風」も4月15日附で第四予備艦となった[48][37]

3月31日、本艦は横須賀に帰投[13][1]。修理後、6月23日に横須賀を出撃[13][1]。ラバウル方面に進出する。7月9日、外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官鮫島具重中将)直率のコロンバンガラ島敵艦艇撃滅および輸送作戦に参加する[49]。主隊(鳥海、川内)、警戒隊(雪風、夕暮、谷風、浜風)、輸送隊(皐月、三日月、松風、夕凪)としてコロンバンガラ島に進出するが米艦隊は出現せず、輸送作戦のみを実施して7月10日朝にブインブーゲンビル島)へ戻った[49]

7月12日、本艦はコロンバガラ島沖海戦に参加する[50]。ラバウル出撃の警戒隊(指揮官伊崎俊二第二水雷戦隊司令官:神通清波雪風浜風夕暮三日月)とブイン出撃の輸送隊(皐月水無月夕凪松風)合流後の同日夜、クラ湾で米軍巡洋艦部隊との間で夜間水上戦闘が勃発[49][51]。輸送には成功したが[49]、同海戦における神通沈没時に第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将と第二水雷戦隊司令部は全滅した[50][52]

新任の第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐と、トラック泊地からきた第七戦隊(司令官西村祥治少将:熊野、鈴谷)を迎えた外南洋部隊(第八艦隊)は、新たに夜戦部隊を編制[49]。 7月19日から20日の作戦行動では、第七戦隊司令官西村祥治少将(旗艦熊野)指揮下の夜戦部隊(主隊《熊野鈴谷鳥海》、水雷戦隊《川内、雪風、浜風、清波、夕暮》、輸送隊《三日月、水無月、松風》)としてコロンバンガラ島方面に出動する[53]。だが夜間空襲により駆逐艦2隻(清波、夕暮)を喪失[54]。本艦を含め3隻(熊野、水無月、松風)が損傷を受けた[55][53]

8月15日、米軍はベララベラ島に上陸を開始[56]。 8月25日、レカタ基地(サンタイサベル島)からの撤収作戦が行われ、陽動隊(川内、、松風)、輸送隊(浜風磯風時雨)という区分で同日午前2時にブインを出撃[57]。午後5時30分、増援部隊は陽動隊、輸送隊、「松風」の三群に分離し、本艦はブイン―ラバウル間の輸送を行った[57]。輸送隊の作戦も成功した(ラバウル帰投)[57]。この後も駆逐艦3隻(磯風、時雨、松風)で輸送作戦を実施した[57]

ベララベラ島の戦局悪化に伴い、日本海軍はコロンバンガラ島からの撤収作戦(セ号作戦)を発動[58]。襲撃部隊指揮官(第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐:秋雲座乗)は夜襲部隊(秋雲《三水戦司令官》、磯風夕雲風雲時雨五月雨)、輸送部隊(皐月、水無月、文月)、警戒隊(天霧)、陽動隊(松風)という区分を定める[59]。 つづいてベララベラ島からの撤収作戦もおこなわれ、10月6日には夜襲部隊(秋雲《三水戦司令官》、風雲、夕雲、磯風、時雨、五月雨)、輸送部隊(文月、夕凪、松風)、収容部隊および協力部隊の戦力が集結[60][61]。転進作戦中に米軍水雷戦隊(駆逐艦3隻、他増援艦艇も接近中)が出現して夜間水上戦闘となり[62]、双方駆逐艦1隻(夕雲、シュバリエ)が沈没した[63][64]

10月27日、「松風」は横須賀に帰投[13][1]。12月9日、横須賀を出撃し、再びラバウル方面に進出した[13][1]。12月16日、第三水雷戦隊司令官は伊集院松治少将から中川浩少将に交代[65]。12月19日時点における最前線の第三水雷戦隊は、駆逐艦(文月、水無月、皐月、松風、夕凪、卯月、秋風、太刀風)となった[65]。第三水雷戦隊各艦はニューブリテン島での輸送任務に従事した[66]

昭和19年の行動

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1944年(昭和19年)1月下旬、第三水雷戦隊の駆逐艦はニューブリテン島やアドミラルティ諸島への輸送作戦を実施する[67]。 同年2月17日、トラック泊地所在だった松風・時雨・春雨等は、米軍機動部隊によるトラック島空襲に遭遇する[1][68]。空襲により僚艦「文月」が大破、文月艦長長倉義春少佐によれば「松風」は「文月」を海岸に座礁させるべく曳航準備をおこなう[69]。だが、再度の空襲がはじまり「松風」は文月曳航を中止して避退したという[69]。その後、「文月」は沈没した[69]。一方の「松風」も空襲で損傷したため、トラック泊地に停泊していた病院船天応丸(元オランダ病院船オプテンノール)に接舷して負傷者を引き渡す[70]。また負傷していた松風艦長も「天応丸」で戦時治療を受けると、「松風」に戻って指揮を続行したという[70]。 本空襲により三水戦からは駆逐艦2隻(文月太刀風)が沈没[71]。 一連の攻撃により、日本海軍は航空機約300喪失、阿賀野(潜水艦スケートによる)・舞風香取那珂追風赤城丸平安丸沈没、水上機母艦秋津洲中破・駆逐艦松風中破・時雨小破・工作艦明石や砕氷艦宗谷損傷、航空機270機喪失等の大損害を受ける[72][73]。損傷した「松風」はサイパンに回航された(時雨等はパラオ回航)[71][68]。 3月1日、「松風」は横須賀に帰投[13][1]。 3月10日附で第三水雷戦隊および麾下の各艦(松風、秋風、夕凪)は中部太平洋方面部隊に編入され、襲撃部隊は解消した[71]。 4月28日、本艦は横須賀を出撃[13]。5月1日、第十一航空艦隊所属の峯風型駆逐艦9番艦「秋風」、第八艦隊所属の「松風」は第30駆逐隊に編入され、同駆逐隊は駆逐艦4隻(卯月夕月、松風、秋風)編制となる[12]。同隊は卯月型駆逐艦神風型駆逐艦峯風型駆逐艦の混成部隊となった。

6月1日、第三護衛船団司令官鶴岡信道少将から門前鼎少将に交代[74]。同月上旬、「松風」は輸送船7隻と護衛艦(千鳥隠岐天草能美、駆潜艇2隻、特設掃海艇2隻)共に第3606船団を編制、同船団(指揮官門前鼎少将)の旗艦として行動する[75][76][77]。また軍令部(第一部第一課)より檜野武良中佐も、臨時第三護衛船団参謀として「松風」に乗艦した[77][78]サイパン島(中部太平洋方面艦隊司令長官南雲忠一中将)に向かう、最後の船団となった[77]6月6日、第3606船団は東京湾を出撃[13][79]6月9日午前4時17分-19分、小笠原諸島父島北緯27度14分 東経145度55分 / 北緯27.233度 東経145.917度 / 27.233; 145.917地点でアメリカ軍潜水艦ソードフィッシュ (USS Swordfish, SS-193)の魚雷攻撃をうけ[13]、「松風」は轟沈した[80][81]。松風沈没により、本艦座乗の門前少将(戦死により海軍中将へ昇進)[82]と檜野参謀は戦死[83][78]。救助された人員は僅かだった[84][78]。船団はサイパン島行きを中止、父島に退避している[85]

8月10日、「松風」は神風型駆逐艦[86]、第30駆逐隊[87]、帝国駆逐艦籍[88]のそれぞれより除籍された。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』242-243頁及び『官報』による。

艤装員長

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  • (心得)鈴木清 少佐:1924年1月10日 - 2月29日[89]

艦長

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参考文献

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  • 大井篤『海上護衛戦』角川文庫、2014年5月(原著1953年)。ISBN 978-4-04-101598-8 
  • 岡本孝太郎『舞廠造機部の昭和史』文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3 
  • 木俣滋郎「8.軽巡洋艦『神通』/10.練習巡洋艦「香取」/16.駆逐艦「夕雲」」『撃沈戦記 海原に果てた日本艦船25隻の航跡』光人社NF文庫、2013年6月(原著1988年)。ISBN 978-4-7698-2786-3 
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』光人社NF文庫、1993年。ISBN 47698-2009-7 
    • 空爆と盲点 <駆逐艦「時雨」艦長・西野繁中佐の証言>(トラック島空襲・渾作戦・マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦時の時雨艦長)
    • 危機への予感 <駆逐艦「文月」艦長・長倉義春中佐の証言>(太平洋戦争時、阿武隈水雷長、利根水雷長、早苗艦長、文月艦長、初春艦長。昭和18年11月〜沈没まで文月艦長)
  • 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8 
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 高松宮宣仁親王嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第七巻 昭和十八年十月一日~昭和十九年十二月三十一日』中央公論社、1997年7月。ISBN 4-12-403397-4 
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 防衛庁防衛研修所戦史部『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』戦史叢書第62巻、朝雲新聞社、1973年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』朝雲新聞社、1976年8月。 
  • 雑誌『丸』編集部 編『ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4 
  • 三神國隆「第4章 日赤第五〇八救護班」『海軍病院船はなぜ沈められたか 第二氷川丸の航跡』光人社NF文庫、2005年1月(原著2001年)。ISBN 4-7698-2443-2 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正10年達完/10月』。Ref.C12070079300。 
    • 『大正11年達完/8月』。Ref.C12070080800。 
    • 『大正11年達完/9月』。Ref.C12070080900。 
    • 『大正13年達完/4月』。Ref.C12070083400。 
    • 『昭和3年達完/6月』。Ref.C12070089800。 
    • 『昭和17年4月~6月 内令2巻/内令昭和17年5月(1)』。Ref.C12070162700。 
    • 『昭和18年1月~4月 内令1巻/昭和18年2月(4)』。Ref.C12070175600。 
    • 『昭和18年1月~4月 内令1巻/昭和18年4月(5)』。Ref.C12070176600。 
    • 『昭和18年7月~8月 内令3巻/昭和18年8月(4)』。Ref.C12070179800。 
    • 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年5月(1)』。Ref.C12070195200。 
    • 『昭和19年8月~9月 秘海軍公報』。Ref.C12070496100。 
    • 『艦艇/駆逐艦(1) 恩給叙勲年加算調査 上巻 参考法例 在籍艦艇 昭和9年12月31日』。Ref.C14010003300。 
    • 『艦艇/駆逐艦(1) 恩給叙勲年加算調査 上巻 参考法例 在籍艦艇 昭和9年12月31日』。Ref.C14010003400。 
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(3)』。Ref.C14010006100。 
    • 『昭和11年12月1日現在10版内令提要追録第1号原稿/ 巻1追録/第6類機密保護』。Ref.C13071968200。 
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    • 『軍艦五十鈴及第7号第9号駆逐艦坐礁事件(2)』。Ref.C04015164200。 
    • 『軍艦五十鈴及第7号第9号駆逐艦坐礁事件(3)』。Ref.C04015164300。 
    • 『軍艦五十鈴及第7号第9号駆逐艦坐礁事件(4)』。Ref.C04015164400。 
    • 『軍艦五十鈴及第7号第9号駆逐艦坐礁事件(5)』。Ref.C04015164500。 
    • 『軍艦五十鈴及第7号第9号駆逐艦坐礁事件(6)』。Ref.C04015164600。 
    • 『5連隊機密第889号の26駆逐艦松風缶室小火顛末報告』。Ref.C05035389900。 
    • 『佐鎮機密第292号 11.9.9廃艦第7号に関する件』。Ref.C05035392600。 
    • 『昭和16年12月1日~昭和16年12月28日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030117600。 
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    • 『昭和16年12月1日~昭和16年12月28日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030117800。 
    • 『昭和16年12月1日~昭和16年12月28日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030117900。 
    • 『昭和16年12月1日~昭和16年12月28日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030118000。 
    • 『昭和16年12月1日~昭和16年12月28日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030118100。 
    • 『昭和16年12月28日~昭和17年1月12日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030118500。 
    • 『昭和16年12月28日~昭和17年1月12日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030118600。 
    • 『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030118900。 
    • 『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030119000。 
    • 『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030119100。 
    • 『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030119200。 
    • 『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030119300。 
    • 『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030119400。 
    • 『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。Ref.C08030119500。 
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(3)』。Ref.C08030137500。 
    • 『昭和17年1月1日~昭和20年6月30日 第2文丸戦時日誌戦闘詳報 特設駆潜艇 第3拓南丸 第11昭南丸 特設掃海艇 第7昭和丸(4)』。Ref.C08030638500。 

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l #陽炎型(2014)263-264頁『松風(まつかぜ)』
  2. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.57『一等驅逐艦"松風まつかぜ" 全要目{排水量1,270噸 速力34.0節 備砲12糎砲4門 魚雷發射管6門 起工大正11年12月 竣工大正13年4月 建造所舞鶴工作部} 松風は春風と同型艦、これはその中央部を大寫しにしたものである。これ等の驅逐艦が搭載してゐる12糎砲と云ふのは大砲の中でも小口徑砲と云ひ所謂速射砲である。4門の備砲はこの寫眞の前端にその砲尾だけ見せてゐるのが一番砲、二番煙突の前方にてボートの艇尾に砲の楯と砲身を少し見せてゐるのが二番砲、後檣の根元の前後に見えるのが三番砲と四番砲、何れも首尾線上に据ゑられてゐるから何れも左右兩舷の戰闘に即應出來るわけである。魚形水雷發射管の6門は艦橋(ブリツヂ)の前下方に1基。三番砲の前方下の甲板に二基。合せて3基でこれが2聯装式になつてゐるから6門となる。その他艦橋附近など注意して見れば幾多教へられるものがあるだらう。この艦も昭和10年度は春風と同様聯合艦隊の第一航空戰隊に附属して艦隊任務に服してゐる。』
  3. ^ a b #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 マツカゼ トス』
  4. ^ #艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』
  5. ^ a b c #艦艇・駆逐艦(2)pp.25-26『松風(略)|(記事)第七驅逐艦 大正一三、四、二四 第七號驅逐艦ト改稱/昭和三、八、一松風ト改稱』
  6. ^ a b c d #艦艇・駆逐艦(1)pp.2-3『驅逐艦改稱新舊名稱對照表 |驅逐艦名前|松風マツカゼ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第七號驅逐艦|(大正十三年四月二十三日以前ノ名稱)第七驅逐艦』
  7. ^ #除籍駆逐艦(3)pp.48-50『舊松風(千噸以下)(略)大正十三年四月一日除籍』
  8. ^ a b #達大正13年4月p.2『達第三十二號 驅逐艦 白雪 仝 松風 仝 野分 仝 霰 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 大正十三年四月一日 海軍大臣 村上格一』
  9. ^ #達大正13年4月p.2『達第三十三號 艦艇類別等級表中驅逐艦ノ欄内「白雪、松風、野分、霰」ヲ削ル 大正十三年四月一日 海軍大臣 村上格一』
  10. ^ a b #陽炎型(2014)262頁『朝風(あさかぜ)』
  11. ^ a b #内令昭和18年2月(4)pp.48-49『内令第三百十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年二月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第五驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、天霧、夕霧」ヲ加フ|第二十一驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第二十二驅逐隊|皐月、水無月、文月、長月| |第三十一驅逐隊ノ項中「大波」ノ下ニ「清波」ヲ加フ』
  12. ^ a b #内令昭和19年5月(1)pp.3-4『内令第六百十一號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル|昭和十九年五月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十二驅逐隊ノ項中「水無月」ノ下ニ「、夕凪」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「夕月」ノ下ニ「、松風、秋風」ヲ加フ』
  13. ^ a b c d e f g h i j k l #ハンディ判艦艇写真集18p.113(駆逐艦『峯風型・神風型・睦月型』行動年表)◇松風◇
  14. ^ #ポケット海軍年鑑(1937)p.50『一等驅逐艦"春風 はるかぜ" 全要目{排水量1,270噸 速力34節 備砲12糎砲4門 魚雷發射管6門 起工大正11年5月 竣工大正12年5月 建造所 舞鶴工作部} 長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米。これは月級驅逐艦の出現する前の所謂大型驅逐艦で、1,270噸の同型のものに"神風 かみかぜ" "朝風 あさかぜ" "松風 まつかぜ" "旗風 はたかぜ" "朝凪 あさなぎ" "夕凪 ゆふなぎ" "追風 おひて" "疾風 はやて"の8艦があり、いづれも輕快部隊の一威力をなしてゐる。就中追風疾風朝凪夕凪等の驅逐艦はいつも要港馬公にあつて南方の警戒線の中樞をなしてゐる。』
  15. ^ a b #舞廠造機部48-49頁
  16. ^ #艦船要目公表範囲(1936年12月1日)p.4『春風|(艦性能略)|舞鶴工作部|11-5-16|11-12-18|12-5-31|(武装略)』
  17. ^ a b c d #艦船要目公表範囲(1936年12月1日)p.4『松風|(艦性能略)|舞鶴工作部|11-12-2|12-10-30|13-4-5|(武装略)』
  18. ^ #艦船要目公表範囲(1936年12月1日)p.4『旗風|(艦性能略)|舞鶴工作部|12-7-3|13-3-15|13-8-30|(武装略)』
  19. ^ #達大正10年10月pp.11-12『達第百九十號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦七隻二等驅逐艦十隻及一等掃海艇六隻ニ左ノ通命名ス 大正十年十月十二日 海軍大臣男爵 加藤友三郎|一等驅逐艦七隻 第一驅逐艦 第三驅逐艦 第五驅逐艦 第七驅逐艦 第九驅逐艦 第十一驅逐艦 第十三驅逐艦|二等驅逐艦十隻 第二驅逐艦 第四驅逐艦 第六驅逐艦 第八驅逐艦 第十驅逐艦 第十二驅逐艦 第十四驅逐艦 第十六驅逐艦 第十八驅逐艦 第二十驅逐艦|一等掃海艇六隻 第一掃海艇 第二掃海艇 第三掃海艇 第四掃海艇 第五掃海艇 第六掃海艇』
  20. ^ 大正12年11月1日(木)海軍公報第3307号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070289000 pp.16-17『○軍艦進水 長崎三菱造船所ニ於テ建造ノ軍艦川内十月三十日午前十一時進水セリ|○驅逐艦進水 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造ノ第七驅逐艦十月三十日午前十時進水セリ』
  21. ^ 大正13年9月2日(火)海軍公報 第3553号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C12070292900 『○艦船所在○九月二日午前十時調【館山】(旗艦)長門、陸奥、日向、山城、(旗艦)多摩、夕張、(旗艦)天龍、(旗艦)迅鯨、常磐、(旗艦)比叡、金剛、(旗艦)由良、名取、長良、(旗艦)川内、(旗艦)平戸、韓崎、若宮、扶桑、(司令)驅三、驅五、驅七、(司令)羽風、秋風、夕風、(司令)潜五九、潜七二、(司令)潜六二、潜四五、潜四四』
  22. ^ #帝国軍艦廃棄処分p.11『華府条約ニ基ク帝国海軍主力艦廃棄作業ノ概要 |(艦名)薩摩|(廃棄處分ノ種別)仝右(撃沈)|(處分作業実施ノ概要)仝(大正十三年)九月二日 仝(撃沈)右(東京湾外)|』
  23. ^ a b #提督草鹿任一47-49頁『砲術学校射撃科教官』
  24. ^ #五十鈴松風旗風坐礁(2)pp.28『一.事件ノ概要 大正十五年十月十五日海軍小演習終了後第二水雷戰隊司令官ハ五十鈴 一番隊(第三驅逐隊(1)島風(2)汐風(3)夕風(4)灘風)及二番隊(第五驅逐隊(1)第七號(2)第三號(3)第九號(4)第五號)ヲ率ヒ横須賀軍港ニ皈港ノ途次桃山御陵参拝ノ為大阪ニ寄港スヘク同日午後三時五十五分佐世保出港、翌十六日午前一時早鞆瀬戸轉流時前ノ流速小ナル時ニ下關海峡ヲ通過セントスルノ目算ヲ以テ向後崎通過後速力概ネ十八節同日午後十一時十二分蓋井島燈台ノ南七十四度西二浬二〇到達セリ(以下略)』
  25. ^ #五十鈴松風旗風坐礁(2)pp.21-22『大正十五年十月二十三日 第二艦隊司令長官 海軍大臣殿 第二水雷戰隊坐礁事件査問會組織ニ關スル件 大正十五年十月十六日午前零時第二水雷戰隊旗艦五十鈴第七號驅逐艦及第九號驅逐艦ハ山口縣豊浦郡安岡町沖中藻及未留見瀬ニ坐礁シ第七號駆逐艦ハ直ニ五十鈴ハ同日午前二時二十六分ニ第九號駆逐艦ハ同日午前四時十分ニ離礁為ニ相當損害ヲ被ルニ至リ仍テ別紙委員ヲ任命シ本坐礁事件査問會ヲ組織候條右報告ス』
  26. ^ #五十鈴松風旗風坐礁(5)pp.4-7『六損害ノ程度(イ)二〇番「ビーム」ヨリ三八番「ビーム」間「キール」舟左側ニ艦艇擦過ノ跡アリ僅ニ波状ヲ呈シ浸水セス (ロ)推進器 別圖ノ如ク折損ス(終)』
  27. ^ #五十鈴松風旗風坐礁(2)pp.25-26『意見 一.第二水雷戰隊旗艦五十鈴第七號及第九號驅逐艦坐礁事件ニ付別冊査定書ニ同意ス 二.責任者ニ對シテハ左記ノ通處分スヘキモノト認ム|第二水雷戰隊司令官 海軍少将 坂本貞二/謹慎三日|五十鈴艦長 海軍大佐 中原市似/同三日|五十鈴航海長 海軍少佐 村尾二郎/同三日|第五驅逐隊司令 海軍大佐 森田弥五郎/誡告|第七號驅逐艦長 海軍中佐 吉田庸光/同(誡告)|同(第七號駆逐艦)航海長 海軍大尉 藤牧美徳/―|第九號驅逐艦長 海軍中佐 古賀七三郎/誡告|同(第九號驅逐艦)航海長 海軍大尉 佐藤治三郎/―』
  28. ^ #五十鈴松風旗風坐礁(3)pp.9-10『一.第七號驅逐艦海軍中佐吉田庸光ノ責任(略)一.第七號驅逐艦航海長海軍大尉藤牧美徳ノ責任(略)』
  29. ^ #廃艦第7号沈没p.12『一四四〇|鳳翔(左)松風(右)彈着観測配備ニ就ク』
  30. ^ #廃艦第7号沈没p.14『二〇一七|鳳翔松風分離ス』
  31. ^ #廃艦第7号沈没pp.30-31『第三 浸水ニ對スル推定諸因』
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  35. ^ 昭和15年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第555号 p.3金桝免職、p.17菅原補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500 
  36. ^ 昭和15年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第555号 p.47」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079400 
  37. ^ a b c d #ハンディ判艦艇写真集18p.113(駆逐艦『峯風型・神風型・睦月型』行動年表)◇春風◇
  38. ^ #ハンディ判艦艇写真集18p.113(駆逐艦『峯風型・神風型・睦月型』行動年表)◇旗風◇
  39. ^ #S1701五水戦日誌(3)pp.4-5『(ロ)「バタビヤ」沖海戰 輸送船隊南下中二月二十七日來「バタビヤ」港外附近ニ出没シアリシ敵艦艇ハ三月一日〇〇〇〇我ガ輸送船隊「バンタム」湾及「メラク」沿岸地區入泊ヲ了シタル直後即チ三月一日〇〇一五敵巡洋艦「ヒューストン」(米大巡)「パース」(豪乙巡)ノ二隻「バンタム」湾泊地ニ來襲セリ 當隊ハ直ニ5sd(22dg、松風缺)11dg 12dgヲ集結2D/7S及敷波ト協力夜戰ヲ決行「バンタム」湾外ニ於テ此ノ敵ヲ撃滅セリ』
  40. ^ #S1701五水戦日誌(2)p.7『二月二十八日〇一二〇松風分離「カリマタ」海峡ニ引返シ4sfノ護衛ニ從事』
  41. ^ #S1701五水戦日誌(3)pp.66-67『別表第一 麾下艦船部隊ノ行動』
  42. ^ 昭和17年3月10日(発令3月10日付)海軍辞令公報(部内限)第824号 p.13」 アジア歴史資料センター Ref.C13072084400 
  43. ^ #S1701五水戦日誌(3)p.7『二.人員ノ現状』
  44. ^ #S1701五水戦日誌(3)p.6『(ホ)三月十日附當戰隊ハ解隊セラレ名取ハ16Sニ 22dgハ2KF附属 5dgハ1KF附属ニ夫々編入セラル』
  45. ^ a b c #ハンディ判艦艇写真集18pp.112-113(駆逐艦『峯風型・神風型・睦月型』行動年表)◇朝風◇
  46. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』195-196ページ
  47. ^ a b 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』196ページ
  48. ^ #内令昭和18年4月(5)p.4『内令第七百三十六號 横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 春風 右第四豫備驅逐艦ト定ム 昭和十八年四月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
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  56. ^ #撃沈戦記(2013)209-210頁『戦場はソロモン』
  57. ^ a b c d #叢書96ガ島撤収後268-269頁
  58. ^ #叢書96ガ島撤収後289頁『「セ」号作戦』
  59. ^ #叢書96ガ島撤収後297頁〔襲撃部隊の第一次計画〕
  60. ^ #叢書96ガ島撤収後306-307頁『転進作戦実施経過』
  61. ^ #撃沈戦記(2013)211-213頁『「秋雲」旗艦となる』
  62. ^ #撃沈戦記(2013)214-215頁『"東京急行"を阻止せよ』
  63. ^ #叢書96ガ島撤収後307-308頁『ベララベラ島沖夜戦』
  64. ^ #撃沈戦記(2013)218-221頁『ソロモン最後の勝利』
  65. ^ a b #叢書96ガ島撤収後442頁〔第三水雷戦隊司令官交送〕
  66. ^ #叢書96ガ島撤収後442-443頁〔作戦輸送の再開〕
  67. ^ #叢書96ガ島撤収後487-488頁『一月、二月の駆逐艦輸送』
  68. ^ a b 佐藤、艦長たち(文庫)235-237頁
  69. ^ a b c 佐藤、艦長たち(文庫)366頁
  70. ^ a b #第二氷川丸の航跡148-149頁
  71. ^ a b c #叢書96ガ島撤収後488-489頁『最後の駆逐艦輸送(二月二十日)』
  72. ^ #撃沈戦記(2013)131-133頁『米機動部隊トラックに来襲』
  73. ^ 佐藤、艦長たち(文庫)234頁
  74. ^ 昭和19年6月1日(発令6月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1492号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099300 
  75. ^ #S1811海護総司令部(3)p.32『三|東京|海上護衛總司令部|第三六〇六船團(第三護衛船團司令官旗艦松風)〇五〇〇館山出撃|海防艦屋代第一海上護衛隊ニ編入』
  76. ^ #第7昭和丸(4)p.23『四(略)第三五〇六船団内訳左ノ如シ護衛艦(旗艦)松風・能美・天草・隠岐・第十六・十八驅潜艇、第七・八昭和丸・千鳥 船団美保丸、神鹿丸、東天丸、杉山丸、淡路丸、甘井子丸、豊川丸』
  77. ^ a b c #海上護衛戦(角川)260頁
  78. ^ a b c #高松宮日記7巻466頁『〔上欄〕○「松風」、九日〇四〇〇、父島ノNE40′ニテ護衛中雷撃ヲウケ大爆発、沈没。檜野中佐臨時参謀トシテ乗艦中。准士官以上一名、下士官兵七名生存セルノミ』
  79. ^ #第7昭和丸(4)p.23『六(天候略)午前五時第三六〇六船団館山發』
  80. ^ #S1811海護総司令部(3)p.34『九|東京|海上護衛總司令部|驅逐艦松風(第三護衛船團司令官旗艦)第三六〇六船團護衛航行中〇四一七北緯二七度一四分東經一四二度五五分ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ大爆發ヲ起シ沈没』
  81. ^ #第7昭和丸(4)p.24『午前四時十九分松風雷撃ヲ受ケ轟沈ス』
  82. ^ 海軍中将男爵伊集院松治外一名叙位の件 p.6」 アジア歴史資料センター Ref.A12090487800 
  83. ^ #第7昭和丸(4)p.24『九(天候略)(略)松風轟沈ト共ニ戊直接護衛部隊指揮官門前少将戰死サル/救助人員八名内准士官一名(以下略)』
  84. ^ #第7昭和丸(4)p.9『九日〇六二〇 第七昭和丸|九日〇六二〇第十六號驅潜艇|救助人員左ノ通リ 准士官一名下士官兵七名内三』
  85. ^ #第7昭和丸(4)p.29『第七昭和丸行動図(自六月一日至六月三十日)』
  86. ^ #内令(秘)昭和19年8月(3)p.9『内令第九三七號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年八月十日 海軍大臣|軍艦、航空母艦ノ部中「、飛鷹」ヲ、同敷設艦ノ部中「、津軽」ヲ削ル|驅逐艦、一等神風型ノ項中「、松風」ヲ、同卯月型ノ項中「、水無月」ヲ、同白露型ノ項中「白露、」「、春雨」ヲ、同不知火型ノ項中「、谷風」ヲ、同夕雲型ノ項中「、早波」ヲ削ル(以下略)』
  87. ^ #内令(秘)昭和19年8月(3)p.10『内令第九四一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年八月十日 海軍大臣 第十七驅逐隊ノ項中「谷風、」ヲ削ル 第二十二驅逐隊ノ項中「水無月、」ヲ削ル 第二十七驅逐隊ノ項中「白露、」及「、春雨」ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「松風、」ヲ削ル 第三十二驅逐隊ノ項中「早波、」ヲ削ル』
  88. ^ #内令(秘)昭和19年8月(3)p.11『内令第九四三號|横須賀鎮守府在籍 軍艦 津軽|呉鎮守府在籍 軍艦 飛鷹 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 春雨|呉鎮守府在籍 驅逐艦 谷風|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 白露、驅逐艦 水無月、驅逐艦 松風|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 早波 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 呂號第百十六潜水艦、呂號第百十七潜水艦|呉鎮守府在籍 伊號第三十三潜水艦、呂號第百四潜水艦、呂號第百五潜水艦、呂號第百十四潜水艦|佐世保鎮守府在籍 伊號第百八十三潜水艦、伊號第百八十四潜水艦、伊號第百八十五潜水艦、呂號第百六潜水艦、呂號第百八潜水艦、呂號第百十一潜水艦|舞鶴鎮守府在籍 呂號第三十六潜水艦、呂號第四十二潜水艦、呂號第四十四潜水艦|右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|舞鶴鎮守府在籍 第二十四號海防艦 右帝國海防艦ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 特務艦 塩屋 右帝國特務艦籍ヨリ除カル|昭和十九年八月十日 海軍大臣』
  89. ^ a b 『官報』第3454号、大正13年3月1日。
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  98. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第267号 昭和13年12月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
  99. ^ 海軍辞令公報(部内限)第427号 昭和15年1月8日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077600 
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  101. ^ 海軍辞令公報(部内限)第721号 昭和16年10月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082600 

関連項目

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